【創設者の理念を継承】内定率の高さにも反映、地元に密着で学生の面倒見が良い長岡大学(新潟県長岡市)
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初回掲載:2024年4月5日
2001年に、長岡短期大学から発展する形で開学した長岡大学(新潟県長岡市)は、1905年に創設された「斎藤女学館」の創設者、斎藤由松氏からの教育観「幅広い職業人としての人づくりと実学実践教育の推進」と、前身である長岡短期大学の建学の精神である「地域社会に貢献し得る人材の育成」を継承し、「地域に開かれた大学」として、これまで多くの人材を社会に送り出してきた。
今回は、同学の村山光博学長(56歳)から話を伺った。
村山学長は元々、新潟県新潟市北区出身。長岡高専で5年間学んだ後、新潟県長岡市にある長岡技術科学大学に編入した。大学院に進学し、機械システム工学を学んだ。
修士課程を卒業してからは、三條機械製作所を経て、当時、新潟県内で唯一の民間プロバイダーだったスペック株式会社にシステムエンジニアとして転職。入社3、4年目の頃に、同社が燕市に営業所を出すことになり、所長として派遣されることになった。
燕市といえば、洋食器など金属加工業者が多く集まっている地域だが、滞在しているうちに地元メーカー経営者などとも次第に懇意になっていったという。やがて、通常の業務以外にも、物流業界の抱える課題や経営者自身の悩みなども耳に入ってくるようになった。村山学長は、それらの課題を、自身が専攻としている情報システムを使って解消することはできないかと考えるようになっていったという。再び大学院に戻って、博士号を取得した。
卒業後は、茨城県内にある飯島製作所に1年間在籍し、実務経験を得たのち、当時、長岡大学産業経営学部で新設された情報関連科目の専任講師として赴任したのが、中越地震のあった翌年の2005年のことである。大学院卒業後、直ぐに新潟県内の企業に就職しなかった理由について村山学長は、「卒業時に年を取りすぎていて、なかなか地元企業が採用をしてくれなかったから」だという。
流通業界の抱える課題解決のために大学院に入り直したのに、年齢が高いという理由だけで再就職が難しくなる。日本企業の人材採用における若年重視による弊害が、村山学長の話からも伺える。
情報技術畑から教育畑への転向。村山学長は現在、「日々、学生をいかに成長させるか」ということに心を砕いているという。特に、同学が私立ということもあり、全国各地から多様な学生が集まる。学生たちはそれぞれ、4年間という時間の中で、唯一無二の存在としての個性を育んでいかなければならない。個々の学生が、自分の将来をしっかりと見据え、成長していくための環境を整えることが、同学に課せられた責務の一つなのである。
そのような中で、村山学長は、できるだけ学生一人ひとりの名前を呼ぶことを意識するようにしているという。それは、村山学長が講師として同学に赴任してきたときから、ずっと抱いている想いでもある。実は、村山学長は長年、学生募集の担当者としても、学生たちと関わってきた。
新潟県内、様々な場所で開催される学校説明会などで、大学入学前の高校生と関わる機会も多くあった。説明会場では高校生として出会った生徒たちが、同学へ入学してくることも多くあった。そのようなことから、学長就任当時は、高校生の頃から知っていた学生に、自ら卒業証書を手渡すこともあったという。
「入学した時にぱっとしない学生が、何かがきっかけに急に変わることがある。その瞬間に立ち会うことが嬉しくて、感動する瞬間」と、村山学長は語る。
入学したての際には内向的な性格だった学生が、大学で茶道部に入部し、活き活きと活動する中で、次第にリーダーシップを身につけ、部長にまでなった。人前での喋りやプレゼンテーションも上手にできるようになっていったというのも、印象深く記憶に残っている。
入学前の段階から学生たち一人ひとりと、真剣に向き合ってきた村山学長だからこそ、語ることのできるエピソードである。
「学生に対しては、高尚なことは望まない。大学の中でのびのびと学んでほしい」と語る村山学長。「いろいろな体験の中から、いろいろな成長に繋がることを見つけて欲しい」と学生には望んでいる。
村山学長自身が、一人ひとりの学生の成長を大切にし、学生たちとしっかりと向き合っているからだろう。同学の就職内定率は2023年度時点で、99%とかなり高い。特に近年は、新潟県内の企業のみならず、県外の企業からの内定をもらう学生も多いという。同校の就職内定率が高い理由について村山学長は、「スタッフがしっかりしているからだ」と得意げに語る。
一方で、学生には「進路の段階からいろいろな企業さんを知った上で、選んで欲しい」と語る。村山学長によれば、内定が早く決まっても、早期退職に至る学生が見られるという事実もあるという。そういったことを避けるためにも「学生たちは、就職活動には時間をかけて欲しい。そして、企業の規模ではなく、そこが本当に、自分がやりたいことと一致しているところかどうか、しっかり自分自身で見定めて、選んでほしい」とする。
自身のキャリア形成に悩みながらも、現在へと至る道を歩んでいった村山学長ならではの考え方である。また同学では、一度就職したものの、どうしても会社との相性が合わずに、すぐに退職してしまった学生に対しても、再就職の相談に応じている。教員と学生との距離が近いこと、そして在学生、卒業生の面倒見が良いことが同学の良さであり、強みである。その結果が、就職内定率の高さにも現れている。
地元に根付いた私立大学でありながら、創業者の理念をしっかりと受け継ぎ、学生一人ひとりの成長にしっかりコミットしながら、社会へと送り出していく同学の姿勢は、地元長岡の名前を冠するのに最もふさわしい大学といえるだろう。
(文・写真 湯本泰隆)