【新社長インタビュー】北越工業(新潟県燕市)佐藤豪一氏に訊く「世界のAIRMAN」に受け継がれるDNA、現在地と未来
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初回掲載:2024年4月5日
北越工業株式会社(新潟県燕市)は燕市に本社と生産拠点を持ち、全国17箇所に事業拠点を配するメーカー。主にエアコンプレッサーや発電機、高所作業車などを製造、出荷する。1938年創業で80年以上の歴史を有す。鋳物工場として生まれた同社は高い技術力が注目され、戦時下では旧日本海軍の指定工場となり、戦後はコンプレッサーの製造を通して日本の復興に大きな力を発揮した企業である。
国内では年間3000~4000台の需要があるエンジンコンプレッサーの分野で約9割のシェアを獲得。北米やオランダ、マレーシア、中国上海に拠点を構え世界戦略にも積極的、その結果、現在の世界シェア第2位という地位を築くに至り、世界の開発現場、工事現場などでは「AIRMAN」ブランドの機材が今この瞬間も活躍している。その培われた技術力は、エンジン発電機や高所作業車など新分野にも活かされている。
まさに「新潟ものづくりの巨人」と称するに相応しい、輝かしい業績と歴史の企業。それだけに地元新潟県民としては、少々縁遠い存在という印象だったが、昨年8月に新潟市江南区にオープンした「AIRMANスケートパーク」の命名権を所有するなど、地域に寄り添った活動も目立つ。
この2月、北越工業に新しい社長が誕生した。同社の第13代社長に就任したのは佐藤豪一氏。佐藤社長の祖父・五郎氏は第5代社長として同社の中興の祖と言われる人物、父の美武氏も8代目の社長を務めた、まさに北越工業の魂を継承するDNAと言える。その人となりに迫るべく、インタビューを行った(にいがた経済新聞・伊藤直樹)
― 経営のトップには、自ら先頭に立つプレイヤーとして強烈に会社を引っ張っていく気質と、周りを上手に使って調和を図りながらマネジメントしていく気質の二通りがあると思います。ご自分で分析してどちらのタイプだと思われますか?
佐藤社長(以下省略)北越工業の歴代社長を振り返ると、プレイヤー兼の人やぐいぐいと引っ張るタイプなど様々でしたが、自己分析すると自分では調整型だと思っています。役目だからやっていますが、あまり人前に立つのは得意な方ではないので(笑)
― 祖父にあたる第五代社長の佐藤五郎氏は、かつて潜水艦の設計なども手がけた技術者であり北越工業の中興の祖、実父も北越工業の社長。歴代社長との交わりの記憶は?
祖父のことは、私がまだ本当に幼いころに亡くなったので記憶には全く残っていないのです。後々聞かされた話くらいで。
一方で父とは、若いころは反目しあうことが多くありました。私を北越工業に入れたかったのですが、私は私で若いころ一時期、音楽にのめりこんで、ロックバンドでプロデビューしようと真剣に取り組んでいましたので、会社に入る気がなかった。そのためしばしば喧嘩になりました(笑)。ある時分から、父の考えとも向き合えるようになり、今に至る、といったところです。
父が社長をしていた頃は、会社が大変な時期で、立て直しが急務でした。父は本当に苦労をして会社を再び本業に立ち返らせ、コア技術を追求し、分社化をするなど効率を突き詰めて生き残りをかけていました。その姿は、まだ社会人になりたてだった私の記憶にも強烈に残っていて、そういう姿を見てきたから意識も変わったのだと、今になって思います。
―北越工業という会社は、その輝かしい歴史の中で、いくつもの熾烈な戦いを繰り返してきました。北越工業がエンジンコンプレッサ―の分野で独立系のメーカーとして圧倒的勝利を遂げた背景はどこにあったと考えますか?
私自身は、現状をとらえて『勝利した』とは言い切れないと思います。この先ずっと続いていく戦いですから。おかげさまで国内では小さい市場ながら9割のシェアを獲得し、世界でも統計上は2位となっていますが、やはりそれをつくったのは先人の胆力、技術力だと思います。弊社の主力となっているエンジンコンプレッサ―ですが、負荷が変動する機械ということもあり、エンジンとコンプレッサーをマッチングさせる技術というのは開発が難しいのですよ。
―北越工業を支える大きな要素として独自のTPS生産方式がありますが、これについて教えてください
かつては弊社もJIT生産(ジャスト・イン・タイム、必要な物を必要な時に必要なだけ作る)を掲げていた時代があり、これはトヨタさんに学ばせていただいた生産ラインから一切の無駄を省いた方式です。
現在のTPS(トータルパワ―システム)はこれをより深化させたもので、別々の部門でつくられた部品が混流で流れ、同期されていくことで『連番制』とも呼ばれています。
お客様の希望するものをお客様の欲しい数だけ生産するには適していますが、この規模の工場で実践するのは実はかなり大変なことで、必死で対応しています。これが弊社の軸であり哲学なので、良いところはなくさずに磨き上げていくことが大切だと思います。
―佐藤社長から見た北越工業の社風は?
自由な社風はあると思います。かなりのレベルで自分の思ったこと、やりたいことが反映できる会社。もちろんそれは会社として同じ方向に動ける範囲内の話ですが、個々の部門で自主性に任せて、自主的なスケジューリングができる。それぞれの現場が自分たちで考え、自分たちで改善する。会社側にもそうした創意工夫を、くみ上げる、吸い上げる風土はあると思います。
― 北越工業は草創期から常に世界市場を意識してきた歴史があり、現在も需要の約4割は海外ですが、海外戦略の現状と未来のビジョンについてお話しください
エアマンのマークは、本来はあの羽のような形状(実際はレシプロコンプレッサーの形)の裏側に「波」が描かれているのです。多くの人材が、海を越えて全世界で活躍できるようにという願いがこもっているのだと父から聞いていました。
現在は北米、中国などアジア、欧州、豪州、中東、アフリカなど世界のあらゆる地域に出荷しています。以前はロシアにもたくさん出していましたが、ウクライナ戦争の影響で部品すら出せなくなりました。お客様のことを思えば、胸の痛むところです。
世界情勢が不安な中でマイナス要因は確かにありましたが、半面で大きな需要も生まれました。北米の発電機が良い例で、これは明らかに電気自動車関連のインフラ需要ですね。この分野は今後、国内でも伸びしろになると期待したい。
― 高所作業車が良い例ですが、既存の技術やノウハウを活用して新たな分野を開拓することに長けている印象です。将来的なビジョンの中で結構ですが、今後見据える新分野への進出はございますか?
来(きた)る水素の時代には、弊社としても絶対にトライしていかなければならない分野ですね。水素エンジンのコンプレッサーと水素燃料電池発電装置の2機種のコンセプトモデルを既に発表しています。
水素の時代が来るまでは、カーボンニュートラルな代替燃料で駆動するバイオディーゼルエンジン発電機を実用化してつなげていく。ベースとなる技術を確立した上で、次世代の若い発想を取り入れて、新しい価値を創造できるのであれば、トライする価値は当然あります。
― 新社長としてこれから北越工業の舵を取っていく抱負を
とにかく上から下まで風通しの良い組織に。若い発想を積極的に取り入れて、新しい価値創造につながってほしい。加えて、本当の意味でグローバル企業を目指したいですね。たしかに海外市場参入を果たしてはいますが、それだけではグローバル企業とは言えない。そこに達するにはまだ人材が足りないと感じます。
例えば世界各国の商文化の違いなどを理解できている人材は、まだ社内的にも少ないと思います。国内の市場に通じている人は部長レベルでも層が厚いのですが、海外市場ではまだ若い人を育て上げられるまで達していない。社内的にも4割は海外向けなわけですから。ひとつづつクリアして、真のグローバル企業を目指したい。
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