【人気記事】―リーダーの光と影― 新しい大学をつくるために全国を飛び回った男、開志専門職大学(新潟市中央区)権瓶拓也事務局長
過去に掲載した人気記事を再掲載します(初回掲載日:2023年12月29日)
新潟のビジネス界を牽引するリーダーたちの困難の経験に迫る「ビズテイル」。第6回は、2024年に初めての卒業生を送り出す開志専門職大学(新潟市中央区)の、権瓶拓也事務局長。
人口減で大学の入学者数が減少する現代、新たな大学の設置には文部科学省の厳しい審査をクリアする必要がある。教員確保のため全国を飛び回る生活、タイトなスケジュールの中での申請業務、そして開学直後を襲った感染症禍──大学立ち上げ時の中心を担った権瓶事務局長は「設立メンバーの誰が欠けても乗り越えることはできなかった」と振り返る。
目次
○「教育は人を変えることができる」──教師を目指した学生時代
○実践的な大学の新設へ、30歳代での抜擢
○教員のスカウトで全国へ
○専門職大学、前例のない大学をつくる難しさ
○感染症禍の中での開学
○開志専門職大学のこれまでと、これから
「教育は人を変えることができる」──教師を目指した学生時代
──まずは、大学設置準備室へ配属される以前のことについて聞かせてください。高校をご卒業されてからは、新潟公務員法律専門学校へ入学されたと伺いました。
元々は教員を目指していましたが、「人のために働きたい」という思いで新潟公務員法律専門学校へ入学しました。そこで出会った先生方の熱量が高くて、やっぱり自分も教職になりたいと再び思うようになりました。
教職に就くための進路を考えていた時に、当時の担任から「NSGグループを受けてみないか」と提案されました。私は電話でその話を聞いて「行きます」と即答。すぐに書類を準備したことを覚えています。
──そこから、母校で教鞭をとられたのですね。
教育を通じて学生たちが変わって、成長して、その地域と社会のために働くようになる。当時から、「教育機関は人を変えることができる」ということを強く思っていました。
入社してからは、教員として9年間教壇に立ちました。その後、学校運営に関わる事務方の仕事もしていきたいと考え、3年間事務局長を務めました。
実践的な大学の新設へ、30歳代での抜擢
──大学設置準備室への抜擢までの経緯を教えてください。
30歳になる年から、仕事の傍ら事業創造大学院大学に通い、MBAプログラムを学んでいました。その時の事業計画書のテーマが「実践的な新しい大学をつくる」こと。専門学校は2年で短期的に実践力をつけることはできます。しかし、より長期となる4年間学び、かつ即戦力としてほかの新入社員よりも飛び抜けた力を持って活躍できるような人材を育てることも重要だと考えていたのです。
「そうした大学をつくりたい」と当時周りにも言っていたので、専門職大学の設置基準ができた2017年(当時35歳)、大学設置準備室への異動を命じられたのだと思います。また、教務と事務の両方の経験があったという点は、後々とても生かされました。
──元々、ご自身もそうした大学を構想していたのですね。拝命を受けた当時は、どのように感じましたか?
自分がやりたかったことなので、非常に嬉しかったです。また、色々な人から、大学をつくるための膨大な準備について聞いていたので覚悟もしていました。覚悟はしていたつもりなのですが……それ以上に膨大で、困難な課題がありましたね。
教員のスカウトで全国へ
──大学準備で、最も困難だったことについて教えてください。
一番は、各学部の先生を集めることでした。当時、「専門職大学」という大学は存在しないので、制度内容と本学の理念を一人ひとりお会いして説明していきました。北は青森県、南は大分県まで。1日で新潟から伊丹へ行って、大分を経由して羽田へ向かわなければいけない日もありました。
また、最初から直接教員予定の方にお会いできる場合だけでなく、まず紹介者の方と会って、その方の信頼を得て初めて紹介いただけるようなケースもあります。もちろん、繰り返しお会いした方もいました。当時、教員のスカウトだけでなく、学長・学部長とのカリキュラムについての打ち合わせ、文科省との相談など、年間100回は出張しました。
当時はコロナ禍前で、オンライン打ち合わせが普及していませんでした。しかしむしろ、この熱量を伝えるために直接会うことができたのは良かったと思います。
──相当なプレッシャーもあったと思います。
先生方には、新潟へ来て指導することのご決断をいただくので、(私も)覚悟を持ちながらやっていました。また、上司から「初めて会う君が大学の顔になる。その自覚を持って会ってきてほしい」と言われ、気合も入りました。
先生方のスカウトについては、どの大学でも一番苦労する点だと思います。専門職大学では、実務家教員が教員の4割以上という要件があります。そういった方々は、スカウト当時は現職を持っている状況で、本学へ来ることを決意します。しかし開学する前で、私は申請対応をしながら頭に先生方や、大学説明会に参加いただいた方々の顔がいつもよぎっていました。必ずやり遂げなければならない、というプレッシャーがありました。
専門職大学、前例のない大学をつくる難しさ
──文科省から新しい大学の認可を得るには、相当な難しさがあると思います。
専門職大学の設置基準の法案成立が2017年5月で、当法人は2018年10月に開志専門職大学の申請をしました。当時は開学している専門職大学が無いので、どのように法律を解釈してカリキュラムを組み立てるか、文章だけでは解釈しきれません。なので、文科省の方々とのコミュニケーショが大事になっていきます。文科省とのやり取りを繰り返しながら、申請準備がしっかりと進んでいることを確認することが重要でした。
新しい大学なので、審査も厳しく見られます。申請をした後にも色々なご意見いただき、それに対応していきます。文科省から意見伝達が来て、1カ月後には書類をまとめて提出しなければいけない状況です。検討して、改善して、再度書類提出。逆算スケジュールを徹底しないといけませんでした。
限られた時間で対応しなければならず、同じ志を持つ準備室のチームが居なければ、乗り越えることはできませんでした。誰一人として諦めませんでした。それは、この新しい大学の教育内容によって、必ず新潟から日本と世界を変える人材が生まれていくと思っていたからです。
また、認可を受ける前から近隣のホテルなどで大学説明会を実施していました。本学が行おうとしている「実践的な教育」に期待を持って来てくれる受験生もいて、その期待を裏切るわけにはいきません。
──認可を受けた当時は、どのような状況でしたか?
大学設置認可の発表時期に、準備室へ文科省から電話がくることとなっていました。当時は現校舎が工事中であったため、すぐ横に準備室としてプレハブがありました。2019年10月の末、可否の電話が来るタイミングは分かりませんでしたが、その当日は「そろそろ来るのではないか……」と予感がありました。
そして電話が来て認可の連絡を受けた瞬間、その場に居た全員が立ち上がって喜びあいました。
感染症禍の中での開学
──認可を受けて、2020年の4月に開学したわけですが、当時はCOVID-19(新型コロナウイルス)の出始めでした。
まさか思ってもいませんでしたね。非常に厳しい審査を通って、認可を貰ったのに……。
県外への移動が制限されていたので、東京に居た先生方がすぐに着任できませんでした。しかし、すぐにオンライン授業へ切り替えるためのプロジェクトチームを編成して、教員と職員で協力し、ゴールデンウィーク明けにオンライン授業を開始しました。ただ、当時は1期生のみで校舎が広く使えたので、分散することも踏まえて6月下旬からは対面授業に切り替えていきました。
──実習先の企業も混乱していて、それどころではない状況ですね。
開学1年目の実習は基本的にオンラインで行いました。実習先の企業様には本当にご理解をいただきながら協力していただきました。我々は産業界と一緒に運営をしていく大学なので、その連携がなければ成り立ちません。
開志専門職大学のこれまでと、これから
──開学までを振り返ってみていかがですか?
困難の連続があった中で、本学に期待を持っている先生方であったり、何回も説明会に来ていただいている生徒とその親御さんたち……。本学へ期待している方々へ応えたい、という思いでチーム一丸となり、認可を勝ち取り、開学へ向けて準備を進め、その後の学生募集に繋がっていったと思います。(その当時は)もう心配で寝られませんでしたね。
最近、とある学生(1期生)と面談しました。その学生は元々、別の大学を第一志望としていましたが、本学のポスターを見て志望を変え、その時は親からも「新しい大学だから」と反対されたそうです。しかし、その学生は第1志望の大手企業に就職が決まり、「開志専門職大学に来なければ企業内実習の貴重な経験ができなかったので、この大学に入ってよかった」と言ってくれました。その言葉を聞いた時は、ものすごく嬉しかったですね。
──2024年に最初の卒業生を輩出します。開志専門職大学の現在と、今後について教えてください。
間違いなく、起業という道も含めて就職に強い大学です。事業創造学部、情報学部1期生の就職率は95%を超え(2023年12月25日現在)内々定先は、東証プライム市場上場企業22社、県内従業員100人以上の企業32社に至っています。また、学生起業は6組、さらに、事業創造学部の1期生で先日、慶應義塾大学大学院(政策・メディア研究科)に進学が決まった学生もおります。
学生たちは実践力を備えた上で社会へ旅立っていくので、(ほかの)新入社員の中でも実力を持っています。これから、より多くの卒業生が力を発揮していくと思います。その時に、「この大学にはいっていよかった」と思っていただければと強く願っています。
また、こうした大学を求め、入学を希望する方々が増えていってもらえれば。それをもってして、開志専門職大学が新潟、日本にある意味が、年を追うごとに根づいていけばと思っています。
(聞き手・中林憲司、鈴木琢真)
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