【市町村長リレーコラム】第4回 新潟県湯沢町 田村正幸町長「笑顔に貢献することができなければ、商売も政治も行政も持続することができない」

新潟県内30市町村の首長に、地域での取り組みや課題、首長としての想いなどをコラムで寄稿いただき、次に寄稿いただく首長を指名いただく「市町村長リレーコラム」。

第4回は、新潟県五泉市の田邊正幸市長からバトンをつないでいただいた、新潟県湯沢町の田村正幸町長のコラムをお届けします。

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いつも思っていること

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。川端康成の小説「雪国」の舞台となった湯沢町は温泉とスキーを主な観光資源とする観光の町です。バブル期には1,040万人の観光客が訪れ、リゾートマンションが58棟建設され「東京都湯沢町」とも言われました。湯沢町の発展の基は、昭和6年の上越線開通と昭和14年に整備された大源太川第1号砂防堰堤があってのことと私は思っています。

上越線の全線開通は新幹線停車駅、高速道路ICの高速交通体系整備の今につながり、大源太川第1号砂防堰堤から始まる治水・砂防・河川事業は、昭和初期の魚野川・大源太川合流部で毎年のように繰り返された洪水から、町民の命と暮らしを守りました。現在湯沢町は新幹線停車駅・高速道路IC・公園・学校などが整備されています。上越線開通に尽力された郷土の恩人・偉人である、岡村貢翁・南雲喜之七翁にいつも心から感謝しています。

また、「コンクリートが命を守り、暮らしを支え、地域を豊かにする」ことを実感し、首長として、防災・減災、国土強靭化、安全・安心のまちづくりに国や県の関係者の皆様に引き続きのご協力をお願いしてまいります。

 

コロナの先へ

観光の町の経済は、新型コロナウイルス感染症で大変な打撃を受けました。新型コロナワクチン接種を着実に進め、感染防止対策を町中で取り組み、暮らしと経済を前に進めてまいりました。フジロックを令和3・4年と開催し、観光客も新型コロナ禍前の8~9割戻り、インバンドも増えています。

今後も、湯沢DMO と共にスノーリゾート形成やデジタル化・近代化、地域公共交通環境の整備、広域連携に取り組み、選ばれる観光地を目指してまいります。

 

湯沢町の地方創生

湯沢町人口ビジョンでは令和22年の人口6,650人を将来展望として掲げ、総合戦略の重点目標は「若者が生活の場として選択するまち」としています。平成28年にはブランドスローガン「観光立町宣言 湯沢町 君と一緒に暮らす町」を立ち上げ、観光と移住定住促進を進めています。

これまでに子育て世代や若者に限定して新幹線通勤補助、U・Iターン賃貸住宅家賃補助、移住促進のための住宅取得補助などの補助金を創設し、子育て支援も18歳までの医療費完全無償化、第2子以降給食費無償化、出生・小・中入学時のすくすく応援金や今年4月オープンの子育て支援棟の新設に取り組んでまいりました。

また、新型コロナウイルス感染症禍、地方分散の流れを逃さないためにも、様々な支援・補助金などの政策に加えて、移住関連業務を包括的に民間事業者(きら星株式会社)に委託し、仕事、住居、子育て、教育などワンストップで対応して結果が出ています。令和2年度から現在(令和4年1月末)まで102名が移住しています。サテライトオフィスも町の補助金を活用し、空き保育園やマンションに7社が開設しました。

「増田レポート」で消滅可能性都市に名指しされ、県平均や近隣市町村より高かった人口減少率7.66%(平成17年~平成27年10年間)は、平成27年から令和3年までの7年間の減少率は2.26%と低くなっています。これからも、ブランドスローガンの基、観光の町湯沢の地方創生にしっかりと取り組んでいきます。

 

自分の事

私は、昭和26年生まれで今年72歳になります。趣味はスキーとゴルフ、今年は湯沢町のスキー場11か所と南魚沼市のスキー場7か所を滑りました。ゴルフは下手です。大学を出て湯沢町役場に3年務め、25歳から62歳までの37年農業と民宿業を営んでいました。

「おじさん、また来るよ」と言ってもらえるのがうれしくて、餅つきやバーべキューをし、フロントわきの壁に子どもの身長と名前・日付を書いて、毎年の成長を喜んでもらっていました。今でも3代目がやっています。

笑顔に貢献することができなければ、商売も政治も行政も持続することができない。これは私の政治の原点です。

 

尊敬する人

尊敬する政治家は田中角栄元総理です。湯沢町の発展に大きく貢献いただきました。政治力については語るまでもありませんが、やさしさ、温かさ、人を引き付けるオーラがありました。20代の頃、越山会青年部で、ロッキード事件後の選挙の時、湯沢ニューオータニホテル宿泊時から次の日の浦佐まで警備をした記憶があります。浦佐の「やな」で、お別れの握手をしていただいたときの手の温かさ柔らかさを今でも忘れません。

もっとも尊敬する人は、父、田村正雄です。父は大正9年生まれで89歳で亡くなりました。第2次世界大戦に召集され参戦、戦後シベリアに4年間抑留されました。帰還後母と一緒になり、腰までぬかる田んぼに苗を植えて米を作り、豚や蚕を飼い、炭を焼き、民宿を営み、3人の子どもを母と共に育ててくれました。土地改良の理事長を30数年努め、湯沢町議会議員を4期、議長も務めました。地元へのスキー場誘致にも積極的でした。

親父の口癖は「少年老い易く学成り難し、光陰矢の如し」。これは勉強したかったけど、自分は尋常小学校4年しか出ていないので、子どもには教育を受けさせたいという思いがあったのだと思います。家業が大変の中、子ども3人を大学に出してくれた両親に感謝しています。

 

地方政治の道へ

48歳の年に町会議員に立候補しました。バブル崩壊後マンションのホテル化が地元で起こり、マンション対策委員会の副委員長に任ぜられ、活動した経験から「人任せではだめだ」との思いから決意しました。幸いにして当選し、以後4期14年3か月議員を務めました。毎日80本以上吸っていたタバコをやめ、あまり飲まなかった酒を飲むようになりました。タバコは体調のために、酒は人の輪に加わり話を聞き、自分を覚えてもらい、仲良くなるため、今は毎日飲んでいます。

4期14年、モットーは「町民の声を町政に反映させる」でした。町を元気にしたいという強い思いから、62歳の年に議員を辞して町長選挙に立候補しました。観光の町湯沢の復活・再生・500万人観光、若者人口増加・子育て支援、安全安心の町づくりを中心に掲げました。

 

新潟県湯沢町の田村正幸町長

【市町村長プロフィール】

湯沢町長 田村 正幸(たむら まさゆき)。新潟県湯沢町出身。1951年3月1日生まれ、1973年国士舘大学政経学部卒業。1999年に湯沢町議会議員に就任後、湯沢町議会産業建設常任委員長、湯沢町議会運営委員長、湯沢町議会議長を歴任。2013年12月に湯沢町長に就任し、現在3期目を務める。影響を受けた人は、田中角栄元総理と父・田村正雄氏。趣味はスキーとゴルフ。

 

◎次にリレーする市町村長(田村町長からのコメント)

南魚沼市の林茂男市長を紹介します。抜群の政策力と行動力、突破力と発信力を兼ね備えた素晴らしい市長で刺激をもらっています。定住自立圏、雪国観光圏、広域行政と今後も連携をよろしくお願いいたします。

 

新潟県湯沢町ホームページ

市町村長リレーコラムについて

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