【体験レポート】ガタベリング2024 IN 福島潟:星空と音楽が織りなす特別な夜
2024年9月7日、新潟市の福島潟で「ガタベリング2024 IN 福島潟」が開催された。
このイベントは、湿地保全の重要性を広めることを目的とした「志民委員会潟部会」が主催となり、新潟天文研究会、トトノウニイガタ、ビュー福島潟、ラグーンブリュワリー、にいがた元気プロジェクト、一般社団法人新潟ふるさと組合など、複数の団体の協力のもと行われた。
今回はイベントに至る経緯や当日の様子を取材したものをレポートする。
志民委員会とは?
志民委員会とは、民間、行政も、年齢、性別など、あらゆる垣根を越えた「志民」が結集し、官民連携により文化や経済、まちづくりなど多岐にわたる分野で議論を深め、新潟市の将来の発展と魅力的なまちづくりを目指して活動する市民団体なのだそうだ。
大きく分けて4つの委員会で構成されており、今回のイベントはその中の一つ「潟部会」が主催となり、所属する新潟青陵大学の学生、高見紗羽さんの「地元、福島潟もっと知って欲しい。
たくさんの生き物が生息する福島潟には様々な活用方法があり、楽しい場所だと感じてもらいたい。」という思いから計画はスタートした。
ここで疑問に思う。
・イベントの費用は?
・開催方法は?
・イベントのアクティビティはどうするの?
私のような浅学の人間には、どうしても否定的な疑問が浮かんでしまう。
しかし、私の心配など杞憂に終わる。
まずは、資金の面で地域を支える「ふるさと基金」として寄付金を運営する「新潟ふるさと組合」さんが資金を援助。
そして「オレンジリボンたすきリレー」など、様々なイベントで地域活動を行っている「にいがた元気プロジェクト」さんがイベントの企画を補佐。すると、アクティビティもビュー福島潟に併設される「ラグーンブリュワリー」さんがブースを出し、夜の天体観測は「新潟天文研究会」さんが全面協力。
福島潟を眺めながら整うサウナイベントとして「トトノウニイガタ」さんが参加。更なる整いを求めるために「ハンドパン」の奏者がバックアップ。
そして「ビュー福島潟」さんの協力のもと、ナイトツアーが開催と、瞬く間にイベントの形が出来上がっていく。
参加者150名という人数も一夜のうちに満員。さすが、あらゆる垣根を超えた志をもった民が集まった組織だ。一人の大学生の夢が様々な大人たちの力により完成されていった。
イベントの概要
福島潟は、豊かな生態系を持つ湿地である。その福島潟の美しい自然環境を活かした星空の天体観測やナイトツアー、屋外でのサウナイベント、ハンドパン奏者による演奏など、多彩なアクティビティが用意され、150名の参加者は普段見ることのできない夜の福島潟を楽しんだ。
天体観測では、専門家の解説を聞きながら、参加者は望遠鏡を使って星空を観察。当初、雲の影響で残念ながら星空が見られないこともあったが、夜が深まるにつれ、夏の大三角形や土星のリングが見られたことが印象的だった。
ナイトツアーでは、ビュー福島潟レンジャーの佐藤安男氏をはじめとしたガイドの案内で、福島潟の夜の自然を探索した。福島潟に飛来する水鳥や植物について学びながら、静かな夜の潟を歩く体験は、参加者にとって新鮮な驚きであっただろう。
テントサウナも設置され、参加者はリラックスをしながら自然の中でのサウナ体験を楽しんだ。サウナ後、福島潟の風を浴びながら整う姿はまた格別なものであったことだろう。
ハンドパン演奏は、幻想的な音色が星空と調和し、参加者を癒しの世界へと誘った。演奏者の情熱と技術が光るステージは、多くの拍手を浴びていた。
ビュー福島潟に併設されているラグーンブリュワリーからもブースとして参加。オリジナルのクラフト品が並び、訪れた人々は、各々買い物を楽しんだ。
参加者の声
参加者の一人は、「星空の下での天体観測は初めての体験で、とても感動しました。ハンドパンの演奏も素晴らしく、心が癒されました。」と語った。
また、別の参加者は「ナイトツアーで見た夜の潟の風景は、日中とは全く違う魅力がありました。」と感想を述べた。
今後の展望
豊かな生態系を持つ福島潟は、自然の宝庫であり、水鳥の生息地としても重要な湿地である。
今回主催された「志民委員会潟部会」は、今後も湿地保全活動を継続しながら、さらなる地域活性化を目指すとのこと。
「新潟市などと協力をしながら、湿地の再生や環境教育プログラムの実施、地域イベントの開催など、次世代の環境保護意識を高める取り組みを重点的に行うことで、「にいがた」という、地域全体の環境意識が高まる活動を進めていく。
このガタベリングというイベントも、地域の自然と文化を楽しむイベントとして、今後も継続していけたら嬉しい。
次回はさらに多くのアクティビティを追加し、より多くの人々に「潟」の魅力を伝えたい。」と「志民委員会潟部会」の部会長、長谷川卓氏は意気込みを語っていた。
(文・上野 龍一)