【Biz Search#3】創業者の息吹は、150年を経てブランドとなる。-ホテルイタリア軒の系譜- <PART2>

注目度の高い記事を日曜日に再掲載します

初回掲載:2024年11月25日

【Biz Search#3】創業者の息吹は、150年を経てブランドとなる-ホテルイタリア軒の系譜- <PART1>

◆創業者の献身が紡いだ信頼—特別な場所、特別な時間の提供へ

かつて「新潟の鹿鳴館」と謳われたイタリア軒。当時から百人規模を収容する大広間があり、外国船の船員たちがこの場所で交差し、地元の有力者は社交場として利用してきた。港を取り巻くコミュニケーションの中心にイタリア軒が存在したのである。ここに集まる利用者に育てられ、サービスが研鑽されてきた。

それ以前の逸話もある。新潟大火の2か月前、北陸を旅していたイギリスの外交官、アーネスト・サトウの「日本旅行日記」に、ミオラの西洋料理店を外国人に推奨する記述がある。1880年6月7日「店主は礼儀正しく世話好きな人で、設備は粗末だが、日本の宿と比べても良い」と要約できる。当時はまだ宿泊施設はないが、ゲストルームにでも泊まったのであろうか。

レストランが「レストラン+ホテル」に昇華したときから、獲得すべき顧客層は激増した。

イタリア軒としてはまだ比率の低い若年層や海外観光客への集客強化もマストとなり、地元に愛されるだけではキャパシティを満たすことはできない。にもかかわらず、オーベルジュの方向に舵を切ることにより、ターゲットはさらに絞られ顧客も需要も限定した。その代わりにイタリア軒を選んだ利用者の満足度は確実に高めることができる。

「ここでしか味わえない」特別な瞬間を提供し、高い満足度を得る。こうしたプレミアムな価値を提供することで、他の競合と差別化し、特別なターゲット層にリーチすることはできる。実際、多くの業態において、一般的なサービスよりも、特別な体験に対して高い価値を見出す層が増えている。イタリア軒が提供するラグジュアリーサービスは、このような顧客層を引きつけ、長期的なロイヤルティを生み出している。

◆革新の本質—時代を越えて続く長期ビジネス戦略

企業は単なる商品やサービスだけでなく、その背後にある物語を提供することで、消費者に「選ばれる理由」を与えることができる。「創業者の理念」や「歴史的背景」は、企業のストーリーを顧客に伝えることで共感や感情的な繋がりを生み出す「ストーリーテリング・マーケティング」の重要な要素となっている。イタリア軒のような稀有な歴史背景を持つ企業にとって、創業者の苦難や地域への想いを物語として顧客に伝えることで、ブランドの信頼性と価値を高め、顧客のロイヤルティを獲得することが可能となる。

ストーリーテリング・マーケティングは何となく「守り」のイメージに感じるが、革新的なアプローチはいつの時代も、ビジネスリーダーにとって必要な要素である。市場の変化を敏感に察知し、新しい技術やトレンドを取り入れ競争に勝ち残らなければ、暖簾を下すことになる。

日本最初の「ミートソーススパゲッティ」の提供はイタリア軒という

革新ということを考えるとき、「アイデアの斬新さ」は議論の中心にない。中心に置くべきは、短期的な発想による利益獲得策よりも、長期的な発展を優先することである。文字にすると簡単で軽い。しかし、そうは行かない現場の実情や、超短期施策ばかり求める経営陣が多いのではないだろうか。

もちろん目先の売上を軽視するという意味ではない。目先の売上に思考を全力投下してしまうことで、長期的視野の展望や戦略が劣後されてはならないという意味である。持続可能なビジネスモデルを構築することの重要性と意味を理解し、革新の本質をはき違えないこと。それこそが未来の世代に継承されるべき「暖簾」だ。やがてこの長期戦略の打ち手こそが「革新」であったと、後世の社員が思い知ればそれで良いわけである。

◆未来を繋ぐ—日々の仕事に秘められた未来への技術継承

イタリア軒には1920年のレシピが現存する。そこには創業当初から提供していたと思われるメニューがあり、今もそれに近しい料理が提供されている。

当時の味と技術を現代に伝える、秘伝のレシピ書

創業者の西洋料理を受け継ぐ「マルコポーロ」をはじめ、社交場の歴史を受け継ぐ会員制のバー、中国料理、日本料理、寿司店と、現在のイタリア軒には、幅広いジャンルのレストランがある。重ねて、レストランスタッフも協力して大会場の宴席やブライダルなどを切り盛りする。さらには「ディナーショー」「賞味会」などと銘打ち、料理を主役に置いたイベントを頻発する。屋外のサッカースタジアムでは年齢層や好みの異なる大人数の観戦者にスタジアムグルメを提供する。

このように、料理を中心とした多種多様のシチュエーションに対して、黄綬褒章を受章した料理最高顧問・肥田野尚之氏を筆頭に、高い技術を持つ総料理長、各レストラン責任者、そして若手のシェフが一同に融合し、ブランドに恥じない最高状態の料理を提供する。店やイベントを切り盛りするという仕事そのものが、技術向上と技術継承になっている。逆から言えば、技術向上と技術継承をするために、多くの料理を取り巻くシチュエーションを用意しているという形が見える。

厚労省が選出する「現代の名工」の一人、肥田野尚之総料理長

伊勢神宮では20年に一度、神社の社殿を造り替え、ご神体を奉遷する大祭『式年遷宮』が行われる。式年遷宮が「20年に一度」と定められた理由の一つに「技術継承」があるという。次回の遷宮を見越して、技術継承と人材確保の取組が定例行事として実践されている。イタリア軒は20年スパンというわけにはいかないが、定例行事である“日々の仕事”を利用して技術向上と技術継承が実践されている。

◆ミオラの精神を受け継ぐもう一つの流れ—『ピーア軒』が守る伝統と情熱

ミオラの羅針盤は、別の地でも針を指し続けている。

1912年、当時12歳の「間松太郎」は、家業である梨の商いを世襲せず、イタリア軒で奉公することとなった。雑用係として料理だけでなく、ビリヤード場なども担当したという。

イタリア軒に奉公していたころの間松太郎。左奥にステンドグラスが映る。

1921年からはイタリア軒に在籍しつつ東京初の西洋料理店・築地精養軒で修行を重ねていたが、1923年9月1日、関東大震災により築地精養軒は焼失した。帰郷した間松太郎は1923年のうちに独立し、新潟市白山浦にレストラン『ピーア軒』を開いた。ミオラは『梨』のイタリア語『ピーア(Pere)』を間松太郎のニックネームにして呼んでいたため、店名はそこから付けられたという。

これも、伝説的な部分があるのかもしれないが、そこには触れない。

店内に入ると、イタリア軒と似たようなガラスの照明器具が下がり、いかにも老舗洋食店という雰囲気が漂っている。その日は上質な味を求める地元の常連客とハレの日を祝う家族によって、開店時間まもなくして満席になった。本格西洋料理店として今も格上の存在感を創業の地で保っている。人気のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)に出てくるハヤシライスのモデルが『ピーア軒』なのでは、とネット上で噂が立った。こんなエピソードも当地を代表する店として定着している証であろう。

ピーア軒は新潟の全市民が関わる場所「新潟市役所」内に支店を設け、とにかく地域へ寄り添うことに重点を置いている。ミオラから直接何を教わったのか、今となっては知る由もないが、ミオラの精神を受け継いだ伝統の料理スタイルを守り続けている。

◆苦難を超えるたびに、老舗ブランドが磨かれる

2024年10月18日、イタリア軒の大宴会場において『創業150周年記念式典』が行われた。

冒頭、駐日イタリア大使ジャンルイジ・ベネデッティ(Gianluigi Benedetti)氏の祝辞では、150年来、新潟とイタリアの架け橋になり、深い絆が続いている場所であると語られた。祝賀会ではレセプタントが会場全体に気を配り、ゲストの満足度を高める。もちろん、そこに伝統の味を受け継いだシェフたちの料理が提供される。今もなお、ここは「新潟の鹿鳴館」なのだと確信させられる時間であった。

館内のレストラン『マルコポーロ』に飾られるステンドグラスは、1931年に建てられた3代目の建物から受け継がれたという。そこには、ナポリ湾岸のヴェスヴィオ山が描かれている。この山は噴火により周囲の町を何度となく崩壊させた。そのたびに試練を乗り越え、以前より素晴らしい町に生まれ変わった。

1931年に建てられた3代目の建物から引き継がれるステンドグラスが美しい

企業も同じである。外的要因による危機は何度となく訪れる。そのたびに乗り越えるための戦略を打ち出し、乗り越える能力を手に入れる。乗り越えたあとには、また以前より強靭な企業になっている。この繰り返しによって、企業は、「老舗」と呼ばれる存在に近づいていく。

東京商工リサーチによると、現存する日本最古の飲食店「一文字屋和輔」は西暦1000年の創業という。宿泊施設は西暦705年創業の「慶雲館」がギネスブックに掲載されている。老舗の定義は「年数だけではない」と書いたが、さすがに千年を超えると長さそのものが神々しい。

新潟港発祥の芸妓文化を今に伝える

新潟港の開港に始まる物語の一端を持つイタリア軒。創業者の情熱と献身が、ただの宿泊施設から地域に根差した歴史的なランドマークへと押し上げた。その歴史は、時間の積み重ねだけではなく、世代が変わっても姿勢を崩さず、変化の中で守り、そして攻め続けたことによる企業の持続戦略であった。ただし、今は千年の中の序章に過ぎないのかも知れない。

あの日、船に乗らなかったピエトロ・ミリオーレ。

孤高のイタリア人が残した、新潟とイタリアをつなぐ起点。小さな点。150年の時を刻みながら、イタリア軒の帆はさらに先を目指し、悠然と風を受け続ける。

 

濱畠近影

濵畠 太
ビジネス書作家、マーケター、ブランドマネージャー。
東証プライム上場企業4社で広報、プロモーション領域責任者を歴任。2013年より、企業に所属しながらビジネス書の出版、研修講師など社外に活動の場を広げ、現在も複数地方の自治体や中小企業の経営コンサルティングを受託している。

<著書>
『小さくても愛される会社のつくり方』(明日香出版社)
『わさビーフしたたかに笑う。業界3位以下の会社のための商品戦略』(明日香出版社)
『20代でつくる、感性の仕事術』(東急エージェンシー)
『ヒット商品を生み出す最良最短の方法』(こう書房)
『「こち亀」両さんのビジネスをマーケティング的に分析してみた』(総合法令出版)
『倒産寸前だった鎌倉新書はなぜ東証一部上場できたのか』(方丈社)

<Biz Search>
ビジネス書作家・濵畠太が新潟企業の事例研究を通して、新潟ビジネスにおけるトレンドと戦略、地域の課題や未来を発信するレポート。マーケ、ブランド戦略の専門家である同氏が調査員となって、新潟企業のトップを訪問、地方発のイノベーションに斬り込む。

ディレクション 伊藤 ナヲキ

 

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