【ジープ島物語】〜ここには都会にある物は全てなく、都会にない物が全てある〜第9回「アルパ」ジープ島開島者・吉田宏司(新潟県上越市出身在住)
1998年11月、私がジープで無人島生活を始め、2年目を迎えた年の事である。
その日、嵐が来るということで私は本島のホテルに避難していた。実はその頃、3年の無人島生活を行うという私の決意は揺らいでいた。
島を訪れるゲストがほとんどいないので多くの現地人スタッフが去り、私は孤独の真っ只中にいた。孤独と絶望、焦燥、恐怖、不安とが重なり、強烈な震えが来て、とうとうホテルの部屋に入った瞬間私は意識を失って倒れた。
数日後に嵐は去り、私は沈船の富士川丸に出かけ、一頭のイルカに出会った。
水深20mの船のデッキの上でうなだれていた私の背後からそっと現れた。そして、うなずきながら私の周りを何度も回って、船尾に消えたかと思うと仲間を連れて来て、また消えては連れて来て、結局12頭のイルカと思う存分遊ぶことが出来た。
その間、最初の一頭だけは私から片時も離れなかった。常にどのイルカよりも私の近くにいた。そして、私を見ながらうなずいたりする仕草はまるで話しかけているようだった。
イルカたちは約25分ほど遊んだ後に船尾の方に消えて行った。
その後、ゆっくり浮上しボートに戻った時には、私の中から「絶望感」と「孤独感」というのものが、すっかり消えていた。そして、心の中で「前進あるのみ!」という判断を下すことが出来た。その時、私はイルカに癒されたのだと思った。
それから、そのイルカをギリシャ語で「アルパ(始まり)」と名付け、頻繁に遊ぶようになった。
アルパは走っている私のボートの舳先に現れ、よくジャンプして喜んでいた。時にはジープ島にやってきて3mくらいの大ジャンプを見せてくれたり、ハウスリーフの水深4m地点位の浅瀬まで来てこちらを窺ったりしていた。
その後、アルパの群れのほとんどが私を受け入れ、一緒に遊ぶようになっていった。
アルパは、常に私の泳ぎに合わせている。何度も何度も素潜りして疲れている様子を見ると、すぐに戻って来て私の脇でじっと止まっていたり、私の呼吸が整い泳ぎ出すと、私のすぐ前を行き途中振り返りながら私の様子を窺う事が多かった。何か目に見えない思いやりのようなものを感じた。
ある日、私が新たなリーフのシュノーケリング調査を行っている時、約40mほどの海底から大きなサメが私を目がけて突進してきたことがあった。円を描きながら、まるで獲物に照準を合わせるが如く、私に迫って来た。
ボートはかなり遠かったので、マスク越しにサメの様子を見ながら、近づいたらフィンでキックする事を考えていた。
ところが、サメが私に近づこうとして、水深約10m地点に来た瞬間! 何処からともなくアルパが現われて、思いっきり尾びれでサメをアタックしたのである。
驚いたサメは一瞬で逃げ去り、その後アルパと共にボートに戻ることが出来た。
今になって思うとこの一頭のイルカは、必死に私を守ろうとしたんだという思いに駆られるのである。
私は生涯、あのイルカと出会った日の事を忘れないだろう。
「私はアルパであり、オメガである。始まりであり終わりである」。
ヨハネ黙示録21章6節
随筆家、海洋研究家、ジープ島を運営する代表者。1956年新潟県上越市生まれ。青山学院大学卒業後、ダイビングクラブを主宰しながら、約15年にわたり、ダイバーを世界中に案内し、自身も世界中の海に潜る。
1997年、40歳の時に少年時代からの夢だった「無人島を開拓して、ゲストに大自然を感じてもらう宿泊施設を建てる」と一大決心。1周275歩直径34mの無人島「ジープ島」に入島(グアムから飛行機で1時間半南下したミクロネシア連邦、トラック環礁に位置する島)。ダイナマイト漁で破壊されたサンゴの海を15年かけて再生させ、魚やイルカが集まる島へと成長させた。
シープ島は2009年に放送されたテレビ番組「世界の絶景100選」で第1位に選ばれたほか、2020年元旦放送のテレビ番組「なるほど!ザ・ワールドから新年あけまして!!奇跡の絶景スペシャル〜」に出演、雑誌「ブルータス」の表紙にもなるなど、新聞、テレビ、雑誌から多くの取材を受けている。また、世界海洋ボランティア協会の会長、海洋自然学校の創始者でもある。現在はジープ島にも行きつつ、妙高山を中心とした吉田自然塾を主宰している。
著書に「もしあなたが、いま、仕事に追われて少しだけ解放されたいと思うなら。」(KADOKAWA)、「South-ing JEEP ISLAND」(普遊舎)がある。