【ここには都会にある物は全てなく、都会にない物が全てある】第11回「吉田自然塾」(ジープ島開島者・吉田宏司)
2020年2月8日、私はコロナ禍の中、ジープ島から余儀なく帰国させられた。その当時私の仕事はジープ島だけであったため、コロナ禍と共に仕事を失ってしまった。しばらく東京にいたが、やる事もない為、先の見えない状況で実家の新潟に戻り、いろいろな事を考えていた。
雪解けの3月半ばには、家の近くの青田川を毎日散歩することにしていた。そして3月、4月と散歩している中で、一体これから何をしたら良いのか?という結論は出なかった。私は1997年に一度ゼロから出発し無人島生活を終えたが、ジープ島へ行けない中、再びゼロからの出発となってしまった。
私は、常々「3」という数字を意識していたため、今後何をするかは、3か月の中で結論を出そうとしていた。「3」という数字は物事が動き出す最初の数字である。「石の上にも3年」「2度あることは3度ある」「3年飛ばず鳴かず」など圧倒的に「3」にまつわる諺や例えが多いと思われる。いわゆる寝ているものが起きだし、初めて動き出す「立体数」なのである。
そして、青田川の散歩をし始めて、3ヶ月が経とうとしている5月中ば過ぎのある晴れ渡った日に、私は高田駅方向に向かってゆっくりと歩いていた。春なのでたくさんの花々が咲き、川には鯉やカモやサギなどが見てとれた。それからどんどん歩き進み、ちょうど駅近くの橋の上に差しかかった時に、突然私は背後に何かを感じた。
それから橋のまん中に立ち、そっと後ろを振り返った。するとそこには細長く続く青田川が見えるだけであった。一瞬気のせいだと思ったが、やはり気になりもう一度後ろを振り返ると、青田川の遠い先に雲一つない状態で妙高山がくっきりと見えていた。そして、その瞬間、その山が光り出したのである。私は自分の目を疑ったが、何度も何度も光るのである。また向きを変え、もう一度振り返っても山は光っていた。何故だろう?と思いながら、私はまた青田川沿いに家に戻った。
今日は何だかおかしな日だと思いながら、家の中にあった新聞を手にして、ぼんやりページをめくっていると、町内にある春日神社に関する記事が載っていた。何気なく読むと「450年目を迎える毎年7月22日に行われる南方山の行事は、コロナ禍の為中止にします」というような事が書いてあった。私は、やはりコロナだからやむを得ないだろうと思いつつ、新聞を置きコーヒーを飲んでいた。
この「南方山」という行事は、元亀元年(1570年)戦国時代にこの地を治めていた戦国武将の上杉謙信公がこの地(越後)を守っている聖なる山として、妙高山の山頂にある阿弥陀三尊に領内の人々の「家内安全」「五穀豊穣」「商売繁盛」「子孫繁栄」を願い、お参りするという妙高山参拝登山の行事なのである。謙信公が林泉寺のお尚に命じて「倶利伽羅不動尊御旗」を捧げ持ち登山するもので、当時は各村から代表者が出て1,359名で登ったという記録が残されている。深夜に出発して、妙高山頂にて御来光を仰ぎ参拝するものである。
その南方山の事を考えながら、私はすぐに春日神社に行きお参りして、境内の中央にある「倶利伽羅不動尊」と「南方山」にまつわる立て看板をじっと見ていた。そして、帰る道すがら今日橋の上から妙高山が光ったのは偶然ではないんじゃないか?「あの山は私に登れ」と云っているように思え、すぐに全国の知人に連絡を取り、12人集め計13名で登山したのである。
そして、その経験を通して、私は山岳自然の美しさや豊穣さ、そしてその奥深さを目の当たりしてたいへん素晴らしい土地であることを知り、妙高山を中心とした「吉田自然塾」を立ち上げ、3年以上に渡るコロナによる忍耐期間を経て、2023年に再びジープ島に行くことができたのである。
「自然!そこには大きな驚きと発見と喜びがある!!」 。
追記・あとで春日神社の宮司に会った所、450年続く伝統的行事を絶やす事はできないと考え、数人の有志のみで参拝登山を行ったとの事であった。
随筆家、海洋研究家、ジープ島を運営する代表者。1956年新潟県上越市生まれ。青山学院大学卒業後、ダイビングクラブを主宰しながら、約15年にわたり、ダイバーを世界中に案内し、自身も世界中の海に潜る。
1997年、40歳の時に少年時代からの夢だった「無人島を開拓して、ゲストに大自然を感じてもらう宿泊施設を建てる」と一大決心。1周275歩直径34mの無人島「ジープ島」に入島(グアムから飛行機で1時間半南下したミクロネシア連邦、トラック環礁に位置する島)。ダイナマイト漁で破壊されたサンゴの海を15年かけて再生させ、魚やイルカが集まる島へと成長させた。
シープ島は2009年に放送されたテレビ番組「世界の絶景100選」で第1位に選ばれたほか、2020年元旦放送のテレビ番組「なるほど!ザ・ワールドから新年あけまして!!奇跡の絶景スペシャル〜」に出演、雑誌「ブルータス」の表紙にもなるなど、新聞、テレビ、雑誌から多くの取材を受けている。また、世界海洋ボランティア協会の会長、海洋自然学校の創始者でもある。現在はジープ島にも行きつつ、妙高山を中心とした吉田自然塾を主宰している。
著書に「もしあなたが、いま、仕事に追われて少しだけ解放されたいと思うなら。」(KADOKAWA)、「South-ing JEEP ISLAND」(晋遊舎)がある。
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