新潟県上越市出身の偉人、前島密の活躍の秘密を探る
新潟県上越市出身の偉人、前島密は日本の近代郵便制度の創立したほか、鉄道会社の設立や早稲田大学の前身である東京専門学校校長を務めるなど数多くの功績を残した。一般的にはあまり知られていないが、現在の日本通運株式会社や現在の株式会社報知新聞社の設立にも関与した一大実業家であった。上越市内の生家のあった場所には、現在前島の功績を紹介する前島記念館が建てられている。
上越地域・旧能生町(現糸魚川市)出身の元郵便局員で、前島記念館館長の利根川文男さんに前島密の活躍の秘密などについて聞いた。
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江戸幕末から大正までを生きた前島は若干12歳で医師を目指し、江戸に出る。学校らしい学校は出ておらず、ほとんど独学だった。だが、幕末にペルーの黒船を見て日本との差に驚き、前島は医師を目指すことをやめ、国のために働くことを決意したという。
そんな前島だが、新潟県の田舎の農家の次男で、なぜ江戸で通用したのかという疑問が成り立つ。それに関して、利根川館長は母親の存在が大きかったのではないかと推測する。
「前島の父親は早く亡くなった。母親は(現在の新潟県上越市の)高田城主の榊原家に仕えた人で、今で言うと主任クラスだった。前島はそういう母親の40歳の時の子供であり、分別のある母親の教育を受け止めたことになる。前島は80歳の時に10歳の頃の自分について書いているくらい、母親が大きな存在だったのだろう。高齢出産でも立派な人が生まれる」と話す。
また、江戸時代最後の時代、慶応2年に武士の前島家の養子となり、農民から武士へ階級を上げた前島について、利根川館長は「前島さんは子供の頃に論語を読んで理解できたという逸話があるくらい頭が良かったし、集中力があったと思う。江戸で人から話を聞いて吸収して、面白いことを言った。こいつは面白い奴だと認められなければ、明治政府に注目はされなかっただろう」とも言う。
一方、今年のNHK大河ドラマは実業家の渋沢栄一を主人公にした「青天を衝け」が放映中だが、利根川館長によると、先ごろ、東京都にある郵政博物館資料センターにNHKから打診があったという。同センターは収蔵資料に関する照会のほか、資料の閲覧、撮影などの申請に対応しており、渋沢と親交があった前島が大河ドラマに登場する可能性も出てきたということだ。
利根川館長は「上越市内の小中学生が学校の授業で前島記念館に見学に来るが、子供たちに知ってもらいたいのは前島さんの生き方だ。前島さんは社会のため、国民のため、恵まれない人のために働いた。金のためには動かなかった。もしそうしていたら、大きな財閥になっていただろう」と話す。
最後に、現在のメール全盛期の時代で手紙やハガキを書く機会が減っている状況に対し、利根川館長は「今もし前島さんが生きていたら『古いものの良さもあるが、それにしがみついて時代遅れにならないようにしなければいけない』と言うのではないかと思う。私も新しい通信手段に変わるのは当然のことだと思う」と話していた。
(文・撮影 梅川康輝)