【インタビュー】ジープ島開島者・吉田宏司さん(新潟県上越市出身)、孤独をイルカに救われた島生活

上空から見たジープ島の全景(宮地岩根、斎藤貴聖撮影)

ダイビングで世界中を旅する日々

日本のテレビの絶景番組で毎回1位になるミクロネシア連邦(西太平洋の島々で形成する国家)のジープ島という小さな島があるが、そのジープ島を開拓したのが実は新潟県上越市出身の男性だったことはほとんど知られていない。

1956年生まれの吉田さんは18歳で大学進学のため上京し、青山学院大学で経営学を学んだ。東京で会社経営者として成功を収める一方で、趣味のスキューバダイビングにのめり込んだ。会社の経営は部下に任せ、ほぼ毎月のように海外旅行に行っていたという。場所はハワイ、グアム島はもちろんのこと、ヨーロッパ、東南アジア、ミクロネシア、アメリカ、カリブ海、エクアドルなどスキューバダイビングの目的でほぼ世界中を回った。

スキューバダイビングの様子(宮地岩根、斎藤貴聖撮影)

だが、1か所だけ行ったことがなかった場所があった。そこは「太平洋戦争で日本の戦艦がいくつも海に沈んでいる場所で、海に潜る気が起きなかった」(吉田さん)という理由で、意識的に訪問を避けていた場所でもあった。その場所が(ジープ島のある)チューク諸島だった。

そこで、吉田さんは世界的なダイバーとして有名だったキミオ・アイセック氏と出会うことになる。これが運命的な出会いだった。キミオ氏は130キロもある巨体だったが、子供の頃、学校で習ったという日本語を流暢に話した。吉田さんとキミオ氏はその場で意気投合し、吉田さんは日本人のダイバーを送りこむと約束する。以降、毎年数百人規模でダイバーの旅行客をチューク諸島に紹介した。

そんなことが続いた後、かなりの日本人がチューク諸島を訪れるようになり、キミオ氏は吉田さんに対し、「お礼がしたい」と言ってきた。吉田さんは「それならあの無人島を買ってほしい」と頼んだところ、最終的に当時の日本円約250万円でキミオ氏が購入し、吉田さんが譲り受けることになった。それが、グアム島の南、パプアニューギニアの東に位置するジープ島だったのである。

ジープ島はミクロネシア連邦の中でも小さい島で、直径は34メートルほどで、外周は歩いて3分ほどだ。島には15本のヤシの木と2棟のコテージがあるだけだが、周囲をサンゴ礁に囲まれた非日常的な空間が広がっている。

島にはヤシの木とコテージしかない(宮地岩根、斎藤貴聖撮影)

 

ジープ島への移住を決意

吉田さんはそんなジープ島へ40歳で移住を決意し、リュック1つで島に入った。3年は島で暮らすと決め、食料がなくなることを想定して、入島する前に断食の訓練もした。結局、3年間で15キロも瘦せたという。食料はキミオ氏が用意してくれた米や醤油、そしてサバ缶があったが、毎日サバ缶を食べていたおかげで、吉田さんは「今でもサバ缶は見たくはない」と苦笑するほどだ。

「海や星がきれいだし、本当に感動した」(吉田さん)と、移住して3か月は島の生活を思い切り堪能できた。しかし、そこからが地獄だった。まず、1年目で食べ物や天候のせいなのか、体中が腫れ、血が流れ、熱が出る状態が約1年間続いた。2年目には意識を失って倒れるなど精神的に危機的な状況に陥った。2年目から観光客を受け入れ、かなり増えていたが、飲酒や客の財布を盗む従業員を解雇したため、まさに無人になり、「なんでこんなところにいるんだ」と自責の念を抱くようにもなったという。

まさにそんな時に奇跡が起こった。イルカが沈船のデッキにいた吉田さんに近づいてきて、トントンと肩を叩いたのである。その後も毎日のようにイルカが吉田さんのもとに訪れ、吉田さんはイルカにアルパという名前を付ける。その後、アルパは連れ合いを見つけ、最後には子供も連れてきたという。吉田さんは「私が弱っていたところをイルカに癒された。イルカは頭がよく、疲れた人間を察知して見抜く能力がある。ダイビングの場面で他の人のそういった場面を何度も見てきた」と話す。

島の近くの海ではイルカも見ることができる(宮地岩根、斎藤貴聖撮影)

こんなエピソードもある。ある時、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏所有の船がジープ島に泊めてほしいとやってきたが、たまたま先客がいたため、リクエストを断ったという。そんな武勇伝もある吉田さんだが、現在はジープ島のコテージの管理は現地人の夫婦に任せ、上越市で勉強会やアウトドアでの交流などを行う「吉田自然塾」を主宰するなど、幅広い人脈を活かし、様々な取り組みを行っている。

現在、コロナ禍で海外旅行は制限されているが、ジープ島は主に日本人を対象に受け入れており、最短で3泊5日、1人当たり約20万円で利用できる。すでに予約は一杯で、宿泊できる2棟のコテージの稼働率はこうしたリゾートの島ではトップクラスだという。アクセスは、グアム国際空港経由でチューク国際空港へ行き、同空港からブルーラグーンリゾートまで車で30分、そこからさらに船で30分の距離。

最後に吉田さんは言った。「とにかく遊ぶこと。遊ばないと子供は育たない」。無人島でサバイブしてきた男の強みはやはり“遊び心”だった。

問い合わせ・ブルーラグーンジャパン電話03(5951)0122。

(文・梅川康輝)

島での吉田宏司さん(宮地岩根、斎藤貴聖撮影)

現在、吉田宏司さんは地元の上越市在住(宮地岩根、斎藤貴聖撮影)

こんな記事も

 

── にいがた経済新聞アプリ 配信中 ──

にいがた経済新聞は、気になった記事を登録できるお気に入り機能や、速報などの重要な記事を見逃さないプッシュ通知機能がついた専用アプリでもご覧いただけます。 読者の皆様により快適にご利用いただけるよう、今後も随時改善を行っていく予定です。

↓アプリのダウンロードは下のリンクから!↓