連載 新潟湊を支えた商家 第一回 小澤家【Biz Link】
昔は新潟湊を支え、今は新潟空港を縁の下で支える
新潟が1869年1月1日に開港5港の一つとして開港してから、今年で150周年。日本海を行く北前船などの回船や川舟が集まって来る、みなとまちとして発展してきた。数々の商家が盛衰を繰り返したなかで、新潟の経済界を支えてきた商家がある。商家の歴史や現在の活動を連載で伝える。第1回は新潟市の小澤家。
小澤家は、江戸時代後期には「小澤屋七助」と名乗り米穀商を営んでいた。明治時代の初めに当主は「七三郎」と改名し、回船業を経営。小澤家の基礎をつくった。以後、時代のニーズに合わせて運送・倉庫業、回米問屋、地主経営、石油商と様々な事業に進出し、新潟を代表する商家の一つとなった歴史がある。
歴代当主は新潟の政財界の要職で活躍。2代目七三郎が新潟の三代財閥の一つといわれた齋藤喜十郎の娘・タケと結婚し、小澤家の商いをさらに発展。齋藤家とも、親戚関係として良好な関係を築いた。自家で経営する小澤商店で石油やビールの販売も手がけた。その後当主となった國治、辰男は、衆議院議員として国政に進出。辰男氏は建設大臣や厚生大臣も歴任し、政界引退後は、新潟国際情報大学の運営法人である新潟平成学院理事長や同大学長も務めた。
現在の当主は、辰男氏の娘の瓔子さん。新潟米油販売株式会社の社長を務めている。同社は國治の時代に「小澤商店」から名を改められた約10人の少数精鋭の会社で、旧小澤家住宅の向かいに本社を構える。新潟空港の給油施設で飛行機の燃料を補充する役割を担っており、事業の柱として新潟の空を支えている。収益は新潟空港を発着する飛行機の数に左右され、知識やノウハウも必要とされるため人材育成は簡単にはいかないが、瓔子さんは「一つ間違えると飛行機は飛ばず、命に関わる重要な仕事」と強調。昔は船で新潟の経済界を支えていたが、世の中の変化に対応し、今では空を支える役割だ。
湊の歴史を学ぶ拠点「旧小澤家住宅」
小澤家の商いの舞台であった店舗兼住宅の旧小澤家住宅は、2002年に新潟市へ土地と建物が寄贈された。そのため、06年には市文化財に指定され、修復や整備を経て、11年に開館している。
現在の小澤家住宅の活動では一度来館した客に繰り返し足を運んでもらえるよう工夫をこらす。特に重視するのは、年配客だけではなく若年層など幅広い層に来てもらうことだ。最近では館内を見てもらうだけではなく、「食」とのコラボレーション企画も重視。小澤家住宅の蔵に保存されていた食器を使って新潟の郷土料理をお膳で食べるイベントを催すなど、町屋の雰囲気を生かした活動を展開。昔ながらのたたずまいで実際に生活をしていた場でもあるため、「落ち着く」との声が多いという。
また、近隣の日和山小学校など小学4年生20人を対象にした夏休みの宿泊イベントも定着。文化財の歴史を学びながら宿泊を体験できる珍しい企画で好評だ。6月16日には「新世紀エヴァンゲリオン」の制作会社として一躍脚光を浴びたアニメ制作会社「ガイナックス」の山賀博之代表取締役(新潟市出身)と、大徳寺(京都府)の山田宗正住職を招いてトークイベントを開催する(註・取材は5月に行った)。
地域にとけこみ、歴史を守るのも大きな役割。近隣地域の人たちで街並みを守る会を作り、建物の高さ制限や無電柱化など景観を維持する取り組みを新潟市に要望する予定だ。瓔子さんは「これからもお客さんに来てもらえるように、様々なイベントを考えながら活動をしていきたい」と話す。
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