インタビュー 株式会社新潟三越伊勢丹 新潟三越 髙橋芳明店長
「これまでの百貨店ではできなかったことにも挑戦したい」
2018年9月26日、「2020年3月22日をもって新潟三越の営業を終了する」というニュースが新潟を駆け巡った。ピーク時の1996年度には250億円もの売上高を誇り、1世紀以上もの歴史を誇ってきた老舗百貨店、新潟三越。閉店まであと約8ヶ月となった今、店長の髙橋芳明氏に同店の歩みとともに今後の構想を聞いた。
――新潟三越らしさはどのようなところあるとお考えですか?
髙橋 今の「新潟三越」の屋号になったのが39年前の1980年。その前身である小林百貨店からは83年、小林呉服店から数えると113年この地で商売を続けてきました。また、江戸時代の越後屋から数え346年もの歴史があり、確かな歴史に裏うちされた信頼こそが「三越らしさ」だと考えます。例えばお客様からも「三越の包装紙(華ひらく)なら間違いない」という高い信頼をいただいています。もちろん、私たちも大切にしており、今でも親子2代、3代と足を運んでくださるお客様が非常に多いです。
――インターネット通販などが台頭する中、百貨店の魅力はどこにあるとお考えですか?
髙橋 リアルな商品を見て、手に取って接客を受けて、スタイリスト(販売員)との関係性の中でご購入いただく対面販売スタイルです。これはECには真似ができない百貨店の強みでしょう。ただこれだけ販売チャネルが増え、都市部から郊外に商圏が広がり、消費者の多様性が生まれている時代、その変化になかなか対応できてこなかったことも事実です。
――閉店が決定しましたが、今後のイベントや施策を教えてください。
髙橋 6月からビアガーデンが始まり、8月にはこれまでも人気が高かった岩合光昭さんの写真展「世界ネコ歩き2」を開催します。また、スタイリストにお願いしていることは「記録と記憶に残るお客様への恩返し」です。リアルな接客は今後も記憶に残り続けるもの、だからこそさらに高めていく必要があります。記録に関しては、秋以降に例えば私たち三越の象徴であるライオンや包装紙(華ひらく)のデザインをモチーフにしたノベルティのようなものをお届けできないかと考えています。
――新潟三越入り口の二頭のライオンは、象徴的な存在ですね。
髙橋 39年も前から古町を見続け、毎日のように拝見に来てくださるお客様もいらっしゃったりと、ライオンは私たちの、そして街のシンボルでもあると思います。そこでライオンへの恩返しとして、装飾など演出を施したライオンとの記念写真をSNSに投稿するキャンペーンを実施しています。
また、従来の百貨店ではなかなか出来なかった仕掛けも打ち出していきたい。最近では荒磯親方(元横綱稀勢の里)と新潟出身力士の豊山関も来場した6月の「相撲・新潟三越場所」は、百貨店初のわんぱく相撲の地区大会を店内に土俵を作り開催しました。今年は開港150周年や国民文化祭といった機会もあり、行政や地域、商店街など従来連携のきっかけがなかった皆さまとも協働していく予定です。この取り組みからたくさんのお客様が古町に足を運び、古町いいね、また来たいね、と少しでもリピートが増え、再発見してくれることを願います。
――最後に、現在の心境や新潟と新潟三越伊勢丹との関係性における展望をお聞かせください。
髙橋 まず何よりも、お客様に「三越があってよかった」と思っていただき、働いている全てのスタイリストも一緒になって「ありがとう」と笑顔で言いあえる最後を迎えられるよう、今は邁進するだけです。
地域に目を向けると新潟市は少子高齢化や人口流出の課題があり、人が集い、住まう街づくりは、古町、万代、新潟駅周辺といった街の個性・機能・役割をより鮮明にし、活かしていくことが大切になるでしょう。
私たち新潟三越伊勢丹もこれからのまちづくりの一翼を担っていきたいと考えています。また、これまでのお客様との繋がりはかけがえのない財産であり、三越営業終了後もしっかりと伊勢丹をはじめ、新しいカタチの中で繋いでいきたいと思います。
(インタビュー後記)
今後、新潟三越の一般には知られることのなかったエピソードが公開される企画も予定されているらしい。新潟に長年上質な買い物文化を育んできた新潟三越。最後を迎えるその日まで、期待と信頼を胸に街に老舗百貨店がある日常をかみしめたい。