新潟市中央区に、真夏に新そばを味わえるそば処「新ばし」が5日にオープン
店主は南半球初の蕎麦屋を開店したことのある柴崎氏
「新そば」の季節と聞いて秋を思い浮かべる人は多いのではないだろうか。そして、「真夏に食べたいけどシーズンじゃないから仕方がない」と考える人も少なからずいるだろう。そんななか、8月5日、新潟市中央区に真夏に新そばを味わえる、蕎麦屋がオープンする。そば処「新ばし」だ。夏の冬の訪れが日本と正反対のオーストラリア・タスマニアの蕎麦を提供するのだという。
オーナーの柴崎好範氏は、国内外で多くの店舗開設に携わった経験を持つ。もともと東京神田藪蕎麦などを経て、2代目として静岡県で蕎麦屋を経営していた。そんななか、1988年、柴崎氏の幼少期からの知り合いでオーストラリア留学の経験もある白鳥製粉株式会社(千葉県)の白鳥理一郎社長が、タスマニアで蕎麦(北海道の牡丹そば)の栽培を開始した(この話は美味しんぼに取り上げられた)。これを機に、柴崎氏を含む蕎麦屋の関係者で、89、90年とタスマニア視察に行った。
柴崎氏は帰国するたびに、家族(妻の啓子氏と子ども3人)に対し、「タスマニアはいいところだった」と言ったという。その結果、「じゃあ家族で行こう」ということになり、タスマニアに家族旅行に行った。これがきっかけとなりタスマニアに移住することになったという。
シンガポールの蕎麦屋もプロデュース
91年7月にタスマニアに移住し、寿司屋で勤務を始めた。その後、93年7月、シドニーに移動し蕎麦屋を開店するための物件探しを始めた。「物件にはこだわりました。理由は日本の蕎麦を知ってほしいから。南半球で最初の蕎麦屋だったので、私の店の蕎麦が現地の人にとって日本の蕎麦のイメージになる。乾麺ではなく、日本人にとっても美味しい蕎麦でなくてはならない。このため、1階の物件を借りて、麺打ち場を設けたいと思いました。外から蕎麦を石臼でひくところや、手打ちをするところで見てもらい、『これが日本の蕎麦なのか』ということを知ってほしかった」。柴崎氏は当時を振り返る。
半年かけて物件を探し、94年3月にシドニーに「新ばし」を開店した。だが開店当初は鳴かず飛ばずだった。「1日に10人くるかどうかといった感じでした」(柴崎氏)。だが、95年1月、新聞「シドニー・モーニング・ヘラルド」に店が大きく取り上げられ、状況が一変した。「電話が鳴りやまなくなり店の前には長蛇の列ができるようになりました」(柴崎氏)。
その後、同じビル内の1、2階が空いたことから店を移動し客席を50から100に倍増。さらに、2000年にはシドニー市内に2店目となる店舗(130席)を開店した(ちなみにシドニーの店も美味んぼに取り上げられた)。
こうした海外での飲食店経営の経験は、他社からも注目され、シンガポールで飲食店を多店舗展開するRE&Sの多田羅博社長から要請を受け、「シンガポール新ばし」をプロデュースした。この店は2003年のオープンだが、今でも絶大な人気を誇っているという。
その後、家賃高騰などからオーストラリアの店を売約した柴崎氏は、大阪や京都で蕎麦屋のプロデュースに携わったり、多田羅社長に誘われ、RE&Sに就職したりし、今年、啓子氏の故郷である新潟に移住してきた。「タスマニアの蕎麦は甘みのあるルチン(脳出血などの予防効果や血液をスムーズに流す作用があるといわれている)を豊富に含んでいます。蕎麦はタスマニアで保存すれば、(劣化せずに)長期保存もできます。できれば通年を通してタスマニアの蕎麦を提供していきたいと考えています」(同)