老舗料亭11代目の挑戦〜「能登新」クラウドファンディング【村上新聞】
村上市飯野2丁目の料亭「能登新」(山貝誠社長)はこのほど、法人化60周年記念事業を展開している。
創業242年を数える同料亭では、各地の老舗企業が担い手不足などで事業継続が困難になっている実状をとらえ、持続可能な設備投資事業を通じた参画型プロジェクトを企画。外壁を黒塀にし、城下町村上ならではの美しい風致に映える改修作業への参加を募り、より顧客と同料亭の心的距離を近づける取り組みや、流通インフラの発達を最大限に活用する食品加工の作業場新設を段階的に行うという。
プロジェクトへの参画は、クラウドファンディングで募集しており、支援者へは能登新がセレクトした村上の食材や食事券が返礼されるほか、企業向けには、同料亭内で製造・熟成される鮭の酒びたしに企業名入りの木札がつくPR権などが用意される。
老舗の歴史ある建物に関わることができる黒塀塗替えの作業は、今月25日(日)。クラウドファンディングは22日(木)までを予定。
参画はこちら。
能登新クラウドファンディグページ
11代目の主となり、伝統を守るために新しいことにチャレンジする山貝社長に話を聞いた。
ー料理の世界に入るまでの経歴は。
山貝誠さん(以下、山貝) 村上幼稚園、村上南小学校、村上第一中学校と進み、村上桜ヶ丘高校商業科を卒業した。高校卒業後は、ミシュランで星を獲得したことでも広く知られる「玄冶店 濱田家」=東京都中央区日本橋=で修業に入った。
ー幼いころの家族の印象は。
山貝 10代目の父・勉が料理長を務め、祖母・ウメと母・加代子(故人)が店に出ていた。父についてはまず、料理をつくれることが、純粋にかっこいいと思った。祖母と母はいつも和服を着ていて、その姿がとても凜としていたように思う。自分にとっては自慢の両親、祖母だった。
ー老舗料亭を継ぐことへの意識や覚悟は。
山貝 小学生になると、母から「継ぐんだよ」と言われ続けた。自分も子どものころから「やりたい」と強く思っていた。弟、妹のいる長男だったからかもしれないが、“継ぐ”ことには「誇り」と「使命感」のようなものがあった。当時、父が村上青年会議所(現・いわふね青年会議所)=JC=の会員で、会員同士の家族交流会が毎年開かれており、地元で活躍する父世代の方やその家族と会うのが楽しくて、そんな体験をさせてくれたことも、父のかっこよさにつながるのかもしれない。
ー帰郷の経緯は。
山貝 地元に戻ることが前提の修業だった。戻ることの意味は、地元に対して自分が得た知識、技術、経験で恩返しがしたい、と思ったこと。日に日にその思いは強くなっている。修業は10年を目処にしていたが2001年、母に病気が発覚。乳がんだった。8年で修業を終え、25歳で帰郷し、能登新の板場へ入った。帰郷半年後には結婚し、夫婦となった姿を両親、祖母に見せることができた。母は治療を受け、闘病しながらも仕事を続けたがその年の11月、帰らぬ人となってしまった。祖母から受け継ぎ、母がつないだ仕事の流儀は、今も能登新に引き継がれている。
ー帰郷してからの取り組みは。
山貝 まずはじめに、「どういう方がうちのお客様か」「どういったお顔、表情で召し上がっているか」という興味を持った。能登新は、カウンターやオープンキッチンではなく、お座敷と厨房が完全に分かれているため、宴席の終盤に、お座敷に上がって料理の仕上げを見ていただく仕掛けをスタートさせた。もともと人と出会うことや話をするのが大好きなので、父世代の方々を中心に、たくさんのお客様とお会いすることができ、顔の見える関係づくりの大切さを知った。料亭をもっと身近に感じてもらい、同世代と知り合おうと、村上商工会議所青年部=YEG=やいわふねJCに入会した。同世代が地域を思い活動している団体にいると、人脈ができたと同時に、地域が活性化していくことが、自分の会社の発展の基礎になることがわかった。ひとりで行うのが活動でも、集団で行えば運動になる。会社においても自分だけでなく、スタッフ一丸となったチームで何かに取り組めば、地域のために何かできる、と思いはじめた。
包丁しか持ったことがなかったが、YEGやJCでは、資料づくりや閲覧のため、パソコンを使うのは当たり前。苦手な分野は先輩や周りの仲間が教えてくれて、克服することができ、同時に強みにまでできるようになった。さらに様々な視点や考え方を得ることができた。
ー料理すること、仕事への価値観は。
山貝 若いころは「料理さえおいしければ、お客様は来てくれる」と安易に考えていた。たくさんの方を知り合う中で、食事を提供していると同時に、お客様の大切な時間・場面をお手伝いしている、ということに気づかされ、「心が喜ぶ料理」を出したいと、強く思った。料亭は、冠婚葬祭や季節の宴会など、様々なお座敷がある場所。場にあったものを場にあった方法でお出しして、お客様に喜んでいただくことが能登新の役割だと知ったことで、自分たちの在り方が変わったと思う。お客様を思い、喜んでいただくことが醍醐味。パートナー社員へは「仕える仕事はせず、志す仕事をしましょう」と伝えている。人を思いやることが、志すことの入り口にあると信じている。
ー代表となってからの思いは。
山貝 昨年8月の代表就任以来、「今と同じでいいか」「社長の仕事って何だろうか」と自問自答を続けた。辺りを見渡せば、老舗なら安泰かと言えば決してそうではない現状がある。3代目までは油屋を営んでいた山貝家は、4代目から料理屋に転じ、今に至っている。その時代ごとによいものを残してきたからこそ、今がある。
ー次の時代へ向かう展望は。
山貝 「老舗」というと、ともすると「遺産」のようになりかけてしまう。能登新に伝わる言葉に「不易流行」がある「不易」は普遍的な伝統や芸術の精神、「流行」は時代にあった変化を意味するが、未来を見据えれば、この「不易」と「流行」が一致していてほしいと思う。経営論として経費縮小はひとつの手段かもしれないが、事業の規模や趣旨を小さくしてしまっては、将来像も縮んでいく。城下町らしい景観の創出や保全、老舗と人が関わりあう体験を広く提供しつつ、自分たちの“挑戦”として、リノベーションに関わるプロジェクトを、今夏に始動させた。
「喜びをつなぎ未来を拓く」を掲げ、パートナー社員や仲間と一緒に社業を育んでいくとともに、先人が培った文化を伝える、より身近な場所として、地域の皆様と歩んで行きたい。
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村上新聞2019年7月28日発行夏季特大号