新潟県が新潟県上越市の小学校でPTAや児童を対象に「拉致問題啓発セミナー」を開催
新潟県と上越教育大学附属小学校(新潟県上越市)は17日、同小学校で、PTAと児童を対象とした「拉致問題啓発セミナー」を開催した。セミナーでは拉致被害者で2002年に帰国した曽我ひとみさんが佐渡市からオンラインで講演した。
県では以前から大学生などを対象とした拉致問題セミナーを行っているが、今回は新たな取り組みとして、家庭などで拉致問題に関心を持ってもらおうと、初めて保護者などを対象にセミナーを実施した。県は今年度中にさらに県内のPTA2団体を対象に実施する予定。
この日は、同小の5、6年生児童60人のほか、保護者120人が教室や体育館で分散して曽我さんの話に聞き入った。
曽我さんは「昭和53年の8月12日に母と買い物に行った帰りに、知らない3人組の男性に船に乗せられた。船を出て、工作員に『ここはどこですか』と聞くと、『北朝鮮だ』と答えた。北朝鮮という国があることはそれまで知らなかった。母と離れ離れになり、監視されて生活していた」と話した。
また、北朝鮮での24年間の生活を振り返り、「冬になると、気温がマイナス30度になり、外に出していた洗濯物が板のように固くなるほどだ。また、川の水が凍り、その上をバスが走っているという信じられない光景がある。私もそのバスに乗って買い物に行っていたが、いつも心配だった。冬は電気が止まったり、燃料も不足していたりしたので、眠くても寒くて眠れなかった。セーターを着こみ、靴下を何重にも履いて、家族でくるまって寝た。食料品では卵を買ったら、全体の半分の中身が腐っていて食べられなかった」と語った。
曽我さんは児童に対して、「いま生活できているのは親のおかげ。私は母と離れて、相談したくてもできなかった。お父さん、お母さんにありがとうと言ってほしい」と呼び掛けたほか、「北朝鮮の一部の特権階級の人を見て、北朝鮮で一般に暮らしている人たちまで悪く思わないでほしい」と訴えていた。
講演終了後、ある児童から「生活していた家の様子は」との質問が飛び、曽我さんは「一軒家みたいなところで、一般的な人たちとは少し離れたところに住んでいた」と答えた。また、最後に児童や保護者に拉致問題解決のための署名活動の依頼をしていた。
(文・梅川康輝)