新潟県でも急増する「こども食堂」、現代社会で減った「地域や隣近所との交流の場」としての期待も
地域の子どもたちや保護者などに食事などを提供する「こども食堂」が急増している。現在、全国で5,000件以上あるといわれ、その数はここ4年で15倍以上に増加しているという。(2020年12月「むすびえ及び地域ネットワーク」調べ)
新潟県では2016年に県内第1号となる「にいがたふじみ子ども食堂」(新潟市東区)が誕生して以降、昨年11月現在、休止中も含め75件のこども食堂が存在している。
「子ども食堂」の定義とは?
新潟県立大学人間生活学部子ども学科教授で、新潟市子ども食堂ネットワークアドバイザーの小池由佳氏によると、その定義は「子どもだけでも参加できること」「無償もしくは安い金額で食事ができること」の2つだけだという。
運営しているのは個人、団体とさまざまだが、「共通するのは営利目的でないということ。子どもたちに居場所や食事を提供したいという気持ち一つで運営されています。それ以外には、子ども食堂をきっかけに地域の活性化をという方もいらっしゃいます」(小池教授)
小池教授が座長を務める「にいがた子ども食堂研究会」が昨年作成した「NIIGATA子ども食堂白書2020」では、こども食堂の今をグラフやイラスト付きで分かりやすく紹介しているほか、小池教授らの座談会も掲載されている。発行後、読みたいという要望が増えているため、ホームページからダウンロードできるシステムなど多くの人の手に渡る方法を検討中だ。
これまで、食事をするだけでなく、子ども同士の交流や学習支援など、工夫を凝らして運営していた子ども食堂は「子どもの居場所」だったが、コロナ禍でスタイルの変更を余儀なくされた。現在は弁当を提供し、それを持ち帰るスタイルをとっている施設が多い。そうなると、子どもの分だけでなく家族の分も、となってくるの。だが、「本当に困っている人は甘えるのも悪くない」と小池教授は話す。
「子どもにご飯を食べさせることは、社会的には親の責任と思われるところ。でも、第三者の助けを借りてもいいんだよというのが今までと違うところではないでしょうか。例えば習い事や勉強など教育の部分は第三者の専門家に委ねたほうがいいと考える親御さんはたくさんいますよね? だけど、ご飯を食べさせることについては親の義務でしょ?という感覚があります。周りから親の役割を果たせていないという目で見られる抵抗感はお母さんにとって重いんですよね」(小池教授)
続けて「昔は親が留守ならご飯を食べさせてくれるお隣さんや、野菜がたくさん採れたからとおかずをたくさん作って招いてくれる近所のおじいちゃん、おばあちゃんという第三者がいたものです。昔はそういうことが自然発生的に行われていましたが、一歩踏み込んで声をかけることが難しい時代になりました。それなら名前を付けて形にすれば、その役割を担えるというのが子ども食堂のイメージでしょうか。ご飯を食べるということは年齢も条件も関係なく誰にでも必要なことなので、一緒になれるんですよね」(小池教授)と語っていた。
子どもをキーワードにすると、人はつながる
働く母親にとって、仕事が終わり献立を考えながら帰宅し、休む間もなく夕食を作るという毎日は大変な負担ではあるが、それをこなすのが当然という社会の考えもあるのは事実。社会全体で理解してもらうのは難しいところではあるが、そこから解放される安心感を持ってもいいのではないかというのだ。
前出の「NIIGATA子ども食堂白書2020」に寄稿している、NPO全国子ども食堂支援センター「むすびえ」理事長で、東京大学特任教授の湯浅誠氏の著書「むすびえの子ども食堂白書」では、こども食堂と子どもを「ななめの関係」と表現している。縦が親子、横が友達。ななめは親や学校の先生ではない大人がいるところ。そのななめの関係で人生の経験を積んで、一つのロールモデルを獲得できる場所になるような可能性と機能を秘めているという。
ある調査で、「こども食堂はどういう場所だと思いますか」という問いに、「だれでも行ける場所」という返答が、行ったことのある人のほうが行ったことのない人を上回った。行ったことのない人は、貧困、子どもしか行けないなどというイメージを持っているということも分かった。
子ども食堂を運営している個人や団体に聞いたアンケートでは、開設の目的について、子どもの居場所創設や経済的困窮家庭への子ども支援など私たちがイメージするものに加え、地域住民の社会参加機会、地域づくり・活性化という回答も多い。
「子どもをキーワードにすると、人はつながることができます。さまざまな立場の人がそれを超えて関われるんです。そしてやはり、たくさんの人が子どもに関心を持ってほしいですね」と小池教授。
地域や隣近所との交流が減っている今、子ども食堂のおじちゃんおばちゃんがごはんを作ってくれたことを覚えていてくれたなら、ななめの関係から得るものがあるのかもしれない。