再転売されていたJR新潟駅前の「物産ビル」(COIビル)
新潟市内の建設会社から個人へ譲渡
昨年12月の本紙で、JR新潟駅前の通称「物産ビル」(現在のCOI新潟ビル、中央区東大通1丁目)が転売されていたことをお伝えした。その物産ビルが再び別の所有者へ譲渡されていたこと明らかになった。
物産ビルはJR新潟駅万代口を背にして右側で、東大通りに面して立つ。新潟市の中心市街地で、人の流れが万代地区から駅周辺に集中していることは明らかだ。古町地区は既にかつての繁華街となり、その衰退に歯止めがかからない。物産ビルは、今や新潟市の都心部となった駅前の老舗的存在だ。
新潟駅が現在地に移転し、駅舎が完成したのは昭和33(1958)年。それ以降、駅の周辺に多くのビルが建設された。その代表格が既に解体され、新しいビルの建設が始まっているマルタケビル(中央区東大通1)だ。物産ビルに隣接し、(登記上で)地下1階付13階建てだったこのビルが建設されたのは昭和39(1964)年。新潟地震が発生した年だ。
物産ビルもほぼ同時期、昭和40(1965)の竣工で、新築から53年たつ。設計は有名どころの松田平田設計、物産ビルと同時期では東京都内の松屋銀座本店も同設計が手がけた。物産ビルは三井物産の子会社、物産不動産が所有していた。地下2階、地上12階で延べ床面積は約9500平方メートル。今もビルに「丸に井桁三」という三井グループのシンボルマークが残る。
ブランド品とも言える物産ビルだが、平成20(2008)年に東京都内の投資法人に売却された。同24年(2012)、この投資法人はさらに第三者に転売するのだが、その際の帳簿価格は約18億1000万円だった。新築から半世紀近く経過するも、さすがは三井ブランドのビルだ。
だが平成24年の転売時、物産ビルの譲渡価格は大幅に下落することになった。主な理由は耐震化対応の有無だった。東日本大震災の発生を受け、物産ビルに対する補強工事の実施要望が急速に高まっていた。
だが投資法人は「耐震化投資は採算に合わず、賃貸事業の好転も見込めない」と判断した。その結果、帳簿価格で約18億円余ながら、譲渡価格は6億3000万円となり、新潟市内(秋葉区)の建設会社に売却された。
一時期、物産ビルは隣接するマルタケビルと共同での改築も模索されたらしい。だが不調に終わったという。今年2月、同ビルは新潟市の建設会社から、今度は同市内の個人に売却された。その売却額だが、残念ながら不明だ。
この物産ビルのほか、東大通りの反対側にある第5マルカビル(旧三越ブラザービル)など、駅前には更新時期を迎えたビルが目立つ。こうしたビルの建て替え、再開発が新潟市の課題となっている。