北朝鮮への帰還事業から62年、新潟中央埠頭(新潟市中央区)で追悼式典が開催
北朝鮮への帰還事業にちなむボトナム通り(新潟市中央区)の整備を目指す新ボトナム会などは14日、帰還事業の開始から62年が経過したことに際し、新潟中央埠頭(同)で追悼式典を開催した。
在日朝鮮人とその日本人妻・夫など9万人以上が北朝鮮へ渡った帰還事業は、1959年12月14日に新潟港から帰還を目指す最初の船が出航し、2021年同日で62年が経過する。
自身も帰還事業で北朝鮮に渡りその後脱北した川崎栄子さんは、追悼式の挨拶で当時を振り返り「(港の様子から)北朝鮮に入港した瞬間から『騙された』ということに気がついた。ショックで精神を病んだ人もいたし、食生活の変化でほとんどの帰国者が肝臓病を患った。また、少しの言葉の間違いで逮捕され姿を消した人も本当にたくさんいた。9万人のうち生き残った人はほんの数えるほどしかいない」と話す。
そして「特に、強制収容所へ送られた人々はひどい仕打ちを受けた。強制収容所へ連れて行かれた人の半数は日本人妻・夫だった。私の周りでも(強制収容所で)何人も虐め殺された。私は日本へ戻ってから、『日本人妻・夫と日本国籍保有者の救出』を訴えてきたが、未だ日本政府は手をつけていない。北朝鮮相手の裁判はひと段落したので、日本政府への訴えに移っていきたい」と話した。
追悼式が開かれた新潟中央埠頭近くの道路・東港線の一部は、北朝鮮へ渡った人々が日朝親善の記念として柳(朝鮮語で「ボトナム」)を植栽したことから「ボトナム通り」と名前がついているが、多くの柳は枯れ、記念のプレートの経年劣化も激しい。新ボトナム会では、柳の再植栽やプレートの新調などを通して、帰国事業や人権意識を次世代へ伝えることを目指す。
追悼式の挨拶に立った弁護士の福田健治氏は「北朝鮮による人権侵害がボトナム通りのリニューアルを通してきちんと語り継がれるとともに、『帰国事業とはなんだったのか』という根本的な認識がアップデートされなければいけない」と語った。