豊かな魚沼の食材で仕立てた料理で、八海醸造を陰ながら支えた「おっかさま」の話
「八海醸造は、この魚沼で酒をつくっています。そこで働くほとんどの人たちが、この魚沼で生まれ育ちました。みんなに共通していること、それは、この「魚沼」が大好きだ、ということです。」
全国最多の清酒メーカーが躍動する、新潟県。またその中にあって、新潟を代表する地酒の一つ、銘酒・八海山。先の引用は、八海山を生んだ八海醸造株式会社が、同社Webサイトにて、「「魚沼」を紹介します」との見出しで述べている中の一節である。
このストレートな一節を読むだけでも、八海山が、魚沼を愛する人によって支えられ、成長し、全国に名の知れたブランドに育っていったことがよくわかる。しかし大正11年の創業以来、何十年もの間は生産量も少なく、借金による苦労なども絶えなかったようだ。
そんな経済的に苦しい時期にあった八海醸造に嫁いだのが、本書の主人公である「おっかさま」だ。日本中が太平洋戦争からの復興に向けて動いている昭和26年に、酒蔵を継いだ創業者の四男・南雲和雄氏と結婚した「おっかさま」こと南雲仁(あい)さんは、和雄社長と八海醸造を、陰ながら、かつフル回転で支え続けた。
蔵の瓶詰めから、蔵人の食事の支度、夜になればお客さまの食事や宴席の接待など。さらに4人の子どもを育てたというから、まさに寝る間もなく働いていたことは想像に難くない。仁さんは長岡市島崎の旧家の出身で、恵まれた環境で育ったようであるが、気丈夫で、愚痴も言わなかったそうである。いつしか蔵人たちは、仁さんを自分の母の姿にダブらせ、尊敬の念をもつようになり、「おっかさま」と呼ぶようになった。
そしておっかさまが、豊かな地元の食材で仕立てた料理で、お客さんや蔵人を喜ばせ続けている長い日々の間に、八海醸造が作る酒は進化し、生産量は増え、経営も軌道に乗り始めた。
今でこそ、八海山と共に世に知られることになった仁さんであるが、本人にとっては特別なことは、何もしていないのかもしれない。ひたすら、自分に与えられた環境において役割を全うする。世の中では思い切ったチャレンジの方が目立つし、成功すれば喝采を浴びるが、今できることを地道に、わき目もふらず取り組み続けることもまた、大変なことである。
人に認めてもらえるような成果には、長い長い取り組みの末の結果のこともある。これは当たり前のことであろうが、進化のスピードが速く、次々と情報が更新されていく現代にあっては忘れがちなこの大事な事実を、南雲仁さんは思い出させてくれる。
【おっかさまの人生料理】
出版社名:デナリパブリッシング
発売日:2017年11月25日
ページ数:135
価格:1,200円(税別)
【著者:森田洋】
1947年東京生まれ。中央大学卒業後、山と溪谷社入社。その後、月刊『山と溪谷』編集部を皮切りに、主に登山・アウトドア雑誌の編集を担当。多くの雑誌を創刊、各編集長を歴任し、2003年同社を退社。電子書籍出版社役員を経て、2005年出版企画・プロデュースを主とするデナリパブリッシング株式会社を創立、代表取締役。現在、八海醸造株式会社の季刊誌『魚沼へ』編集長を兼ねている。関連書に『南雲和雄 問わ
ず語り』( 絶版) がある。
※biz Link2019年12月10日号より転載