マハラジャの日本酒ボトルのデザインやラフォーレ原宿・新潟の内装を手掛けたエス・オー・ディ(新発田市)
「マハラジャ」「ラフォーレ原宿・新潟」――。この名前を見ると、活気に満ち溢れていたころの新潟市の繁華街古町を想い出す人も多いことだろう。このマハラジャの全国各店で限定販売された日本酒(菊水酒造)のボトル、ラフォーレ原宿・新潟の内装(サイン計画)を行ったデザイン会社が新発田にある。創業33年の有限会社エス・オー・ディだ。
これ以外にも様々なデザインを手掛けている。例えば、長岡市の家具メーカー、(株)ワイ・エム・ケー長岡のラタン(籐)を使った椅子のデザイン。また、伝統的工芸品である村上堆朱の未来へ向けたパイロット・デザインも手掛けた。地元・新発田の企業関係では、新発田ガス(株)のガスタンク・ニコタン&モモタン、CI計画、ユニフォーム、イベント・ガス展の企画デザインを手掛けているほか、菊水酒造(株)の年末年始イルミネーションデザインを手掛けてきた。さらに新発田市役所4階屋上のベンチ(さくらの花びらベンチ)のデザインも手掛けた。
このほか、新潟市古町の古民家をフレンチ・レストランのバー町田としてデザインして話題となったほか、NST新潟総合テレビのニューススタジオやスマイルスタジアム・スタジオ、新潟清酒産地呼称協会の認証マークをデザインした実績がある。
まさに五臓六腑の活躍といえるが、様々なデザインに対応できるのは代表取締役の髙橋智志氏がデザイナーとして様々なデザインにかかわってきたからと言える。
家具、空間、PB商品など様々なデザインに携わる
髙橋氏は小学生のころ、手塚治虫に憧れ、マンガばかり描いていた。また中学生時代は、立体物に興味を持ち1969年雑誌に掲載されていた人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ11号のイラスト1枚を元にその様子を模型にし、県の展覧会に出品した。
高校時代(県立新発田高校)は美術部に入部。デザインをやりたかったが、顧問の先生は油絵の専門。そこで、当時女子高校だった西新発田高校の美大卒の先生を紹介してもらいデザインの基礎を学んだという。「3時に芝高を終え、西高の美術部に通う毎日でした」(髙橋氏)と当時を振り返る。
卒業後は、東京・渋谷にある(専)桑沢デザイン研究所インテリアデザイン研究科に入り、建築を林雅子氏、家具デザインを山口勇次郎氏に師事した。入学してすぐのころ、小田急ハルクで開催されていた北欧デザイン展に足を運び、そこで、高橋氏のその後の人生に大きな影響を与えた椅子と出会った。「巨匠ハンス・J・ウェグナーの椅子です。カルチャーショックでした。自分も美しい椅子をデザインしたいという夢を持ちました。また、世界の名作椅子と呼ばれる多くの椅子が、著名な建築家のデザインであることを知り、自分はその逆、まず椅子をデザインしてそれに合わせた空間までデザイン設計していけたらと考えました」(同)と振り返る。
その後、ラタン(籐)を主要材料とした家具メーカーで、日本で初めてニューヨーク近代美術館の永久展示品に選定された椅子を作ったことで知られる(株)山川ラタンに入社。小田急ハルク、高島屋などのPB商品の開発や、ワシントンホテル、東京会館などの特注家具デザイン設計に携ったという。
さらに(株)NULL HAUS 一級建築士デザイン事務所に入社。在籍中はラフォーレ原宿IIの内装(サイン計画)、(財)日本産業デザイン振興会の地場産業活性化事業、積水樹脂(株)やミサワホーム株式会社の商品デザインなど多岐にわたるデザイン業務に携わった。「デザイン振興会の事業は、地方にデザイナーを派遣して商品のデザインを洗練させようという事業。私は宮崎・都城の家具メーカーに派遣されました。また、積水樹脂ではコンベックスの商品デザイン開発に関わり、商品そのものから、ロゴやパッケージのデザイン、チラシのデザインまで手掛けました」(同)。
退社後は、帰省の際に立ち寄った新潟県工業技術センターからの薦めや、「新潟は京都に次いで伝統的工芸品が多い(つまり活躍の場がある)」という日本産業デザイン振興会の事務局長さんの背中を押す声もあり帰郷。87年に新発田でデザイン会社を立ち上げた。
最初の仕事は叔母の店ノブ・コレクションの内装。次に手掛けたのが冒頭で紹介した新発田ガスの仕事。その後も「デザイン分野を問わず、相談された仕事はとにかく断らないというスタンスで、想いをカタチに、わくわくするデザインを目指してきた」(同)。
とはいえ、椅子に夢中。社内には巨匠がデザインした椅子から、自らデザインした子どもが使える椅子まで様々な椅子が展示されている。またここ数年、「ラタン椅子と空間デザイン展」を開催してきたが、「今年は5月に新潟市内で開催する予定です」(同)と話す。
※biz Link2020年2月10日号より転載