証券会社出身の若手社長のもとで新ブランドの立ち上げを進める天領盃酒造
2年前に天領盃酒造の代表取締役に就任した加登仙一氏(27)は全国多数ある酒蔵の中にあって最年少と目されている。その加登社長が清酒について本格的に考えるようになったのは大学時代に、スイスの大学に留学した時のこと。他国の若者との交流の中で日本文化や清酒について訊ねられて真剣に考えるようになったという。
そんな中、三菱UFJモルガン・スタンレー証券に入社して2年目に、天領盃酒造が売りに出されていることを知り、買収を決意した。だが、当時24歳という若さや、取引実績がなかったことなどから金融機関が難色を示したそうだ。だが、収支計画を何度も突き返されながらも提出し、最終的に資金の借り入れにこぎつけることができた。そして2018年3月、晴れて天領盃酒造のオーナーに就任した。
SNSで知名度が向上した新ブランド「雅楽代」
今年3月で就任から丸2年が経った。最初の1年目は、若者を中心に清酒離れが進む中で、「『若い人に向いた味は何なのか?』ということをずっと考えてきた」と振り返る。実際、貴醸酒(仕込み水の代わりに日本酒で仕込んだ超甘口の清酒)や、香りが出る酵母を使った清酒を作るなど、若い人の嗜好に合った酒造りにチャレンジをしてきた。
だが、ちょうど1年ほど経ったころ、「好みの味は人それぞれ違う。だったら、自分が一番美味しいと思う酒を作ろう」と考えが変わったという。「美味しい酒はたくさんあります。だから、ただ美味しいというのではなく、針の穴を通したようなドストライクで美味しいと思える酒をつくりたいと思った。今はこれを目指して試行錯誤を繰り返しています」(同)。
たた、2年間で着実に成果を出してきた。就任1年目に立ち上げた「雅楽代(うたしろ)」という清酒の新ブランドもその一つ。(佐渡島に流刑になった)順徳天皇が歌会で気に入った歌があると土地を与えていたが、その土地が同社のある歌代という地区だったという。歌代の人々はそれを誇りに感じ、雅楽代という名字を名乗り始めたそうだ。この逸話にちなんでブランド名を名付けた。
味にもこだわった。「綺麗で軽くて、飲みやすい酒になっています。綺麗とは雑味のない味、また軽くて飲みやすいとは、アルコール度数が(原酒16%と)低く、軽やかな味のこと。当社の『飲んでもらっている人の楽しいひとときを演出する』というコンセプトに合致した商品に仕上がっています」(同)。
さらに商品に記載されている表記のスタイルもこれまでにない斬新なものに変えた。「佐渡五百万石100%使用」や、商品の説明が記載されているところは他の清酒と変わりがないが、「純米」「大吟醸」といった文字がどこにも記されていないのだ。「純米吟醸などと書くと、『だいたいこのくらいの価格だな』と価格の相場観を伝えてしまうことになってしまうし、味についても『こんな味だろう』という先入観を与えてしまう。このため必要最小限の表示に留めました」(同)。
ブランドの特約店(酒販店)の開拓にも乗り出し、現在までに東京や新潟など9都府県に18の特約店を新規に開拓した。「最初の頃は、酒販店開拓のため営業活動を行っていましたが、(飲んだ人などによって)SNSで拡散していったこともあり、ありがたいことに営業をしなくても問い合わせがくるようになりました」(同)。ちなみに会社を引き継いだ当時は、天領盃ブランドでの特約店が2店あるだけだったが、現在では雅楽代18店、天領盃5店になっている。就任2年目の今シーズンも雅楽代ブランドのラインアップを2アイテム追加したほか、新ブランド「the rebirth~ouroboros~」も立ち上げている。
運送委託先、電話回線の見直しなど様々なコストカットを行った。「運送はこれまでの大手運送会社から、佐渡汽船に切り替えたところ、離島関連の補助金が活用できるようになり経費が3分の2になりました」(同)。
さらにLINEワークスの導入、経理のアウトソーシングなどを進め、従業員が本来の業務に打ち込めるよう改革を行ってきた。「これまで紙で行ってきた受発注情報、製造計画などを行うようにした結果、社内のやり取りは効率化しました。今後は電話も代行に依頼し、必要な着信の情報だけを教えてもらう予定です。これにより従業員は電話に出る必要がなくなり、本来の業務により集中できるようになります」(同)と話す。
※biz Link2020年3月10日号より転載