今年で通水100周年を迎える大河津分水の建設に尽力した田澤實入氏の顕彰碑除幕式が執り行われる
今年で通水100周年を迎える大河津分水の建設に尽力した田澤實入(たざわ・みのり)氏の顕彰碑除幕式が田澤氏の命日である4月2日に新潟市南区の田澤家墓所で行われた。
顕彰碑は、昨年12月に設立された田澤實入顕彰会(大那孝会長)が、白根ライオンズクラブの寄贈のもと設置した。除幕式と、除幕式に先立って行われた慰霊祭には、田澤家、国交相北陸地方整備局信濃川河川事務所の今井誠所長、笠原義宗県会議員、新潟市南区の五十嵐雅樹区長、白根郷土地改良区の丸山久夫理事長、白根ライオンズクラブの小林正仁会長などが参加した。
顕彰会の大那会長は、「田澤實入の功績を語り継ぐためにライオンズクラブの好意により、顕彰碑を建設した。田澤實入の命日に慰霊祭と顕彰碑の除幕式を執り行う運びとなった」とあいさつしていた。
田澤の孫は、御礼の挨拶の中で、「晩年は分水の方向にお墓をつくる嬉しい気持ちを歌に込めて亡くなっていった。歌はお墓の後ろに刻まれている」などと話していた。
田澤氏は、古川村(現在の新潟市南区白根地区)出身で、父親の興一郎氏の父子2代に渡って大河津分水路の実現に尽力した人物。多くの田畑を売り払うなと治水運動に私財を投じ、県会議員、県庁、内務省と転籍を繰り返し、分水路実現の機会をうかがったという。
また第二期工事が開始された際には一現場主任として工事を見守り、1922年の通水を見届けた翌年、内務省を辞した。名所として知られる大河津分水の桜を育成した人物としても知られる。墓は、田澤氏が亡くなった昭和3年に建立され、田澤氏の希望通り、大河津分水の方面を向く形で建っている。
なお顕彰碑の白御影は、中央区学校町にあった旧県庁舎で使われていたものを使用しているという。
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