本県農業の研究拠点「新潟県農業総合研究所」

コシヒカリの親である「農林1号」や「新之助」もここで生まれた

コシヒカリ記念碑。試験場創立100周年を記念し平成5年に建てられた

先日、本県農業研究の拠点である新潟県農業総合研究所の作物センターを訪れた。ここでは日々、米などの品種開発(優秀な株同士を交配し、さらなる優良な株を生み出し、その株を優良な株と交配させて、さらに優秀な品種を生み出していく)が行われていて、コシヒカリの親にあたり、新潟を米王国へと変えた「農林1号」や、2017年に期待を集める中でデビューした新品種「新之助」もここから世に送り出されてた。

掛け合わせで誕生する株の数は毎年数千のぼるという。その中から、機械や、職員の嗅覚・味覚などで数百の株まで絞られる。それをまた交配させて、数千の株を生み出して、数百株まで選別していくのだそうだ。表(下の写真)にあるように、その中から特に優れたものだけが品種に指定され、一般栽培されるようになる(新之助は20万の中から残った品種ということだ)。

一方、コシヒカリが誕生したのは、まだ太平洋戦争の最中にあった昭和19年。当時は、食糧難の時代であった。このため、全国各地の農業試験場で米の品種開発が行われていた。こうした事情もあり、「農林22号」と「農林1号」の交配により旧新潟県農業試験場(新潟県農業総合研究所)で誕生した優秀な株(コシヒカリのもととなる品種)の一部(20粒)は、福井県農業研究所にも持ち込まれ、同試験場でも品種開発が行われた。

同じ父母から違い性格の兄弟が生まれてくるように、同じ「農林22号」と「農林1号」の交配でも、“生まれてくる株”の性質(食味、病気に強い、寒さに弱いなど)は異なったそうだ。そんななか、福井で、食味の素晴らしい「越南17号」が生まれ、それが新品種「コシヒカリ」となった。

(同じ「農林22号」と「農林1号」の交配のより誕生した品種は各地にあり、新潟で誕生した品種は「越路早生」と名付けられた)

一方、新之助も完成というわけでなく、今も病気に強い品種との掛け合わせなどで、さらなる進化を目指している。

無数の交配の中から、最も優秀なものだけが品種に指定される

 

交配した株

センターが生み出してきた品種

職員の味覚・嗅覚でも品種の選定が行われていて、選定時期(秋)ともなるとかなり米を食べることになる。それに加え、この日(7月)は、梅雨に保存されていた様々な品種の米が保存によりどのように味覚などに変化を起こしたかをチェックするための試験が行われていた

センターの田んぼ。長岡市中心部も見える

 

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