本県農業の研究拠点「新潟県農業総合研究所」
コシヒカリの親である「農林1号」や「新之助」もここで生まれた
先日、本県農業研究の拠点である新潟県農業総合研究所の作物センターを訪れた。ここでは日々、米などの品種開発(優秀な株同士を交配し、さらなる優良な株を生み出し、その株を優良な株と交配させて、さらに優秀な品種を生み出していく)が行われていて、コシヒカリの親にあたり、新潟を米王国へと変えた「農林1号」や、2017年に期待を集める中でデビューした新品種「新之助」もここから世に送り出されてた。
掛け合わせで誕生する株の数は毎年数千のぼるという。その中から、機械や、職員の嗅覚・味覚などで数百の株まで絞られる。それをまた交配させて、数千の株を生み出して、数百株まで選別していくのだそうだ。表(下の写真)にあるように、その中から特に優れたものだけが品種に指定され、一般栽培されるようになる(新之助は20万の中から残った品種ということだ)。
一方、コシヒカリが誕生したのは、まだ太平洋戦争の最中にあった昭和19年。当時は、食糧難の時代であった。このため、全国各地の農業試験場で米の品種開発が行われていた。こうした事情もあり、「農林22号」と「農林1号」の交配により旧新潟県農業試験場(新潟県農業総合研究所)で誕生した優秀な株(コシヒカリのもととなる品種)の一部(20粒)は、福井県農業研究所にも持ち込まれ、同試験場でも品種開発が行われた。
同じ父母から違い性格の兄弟が生まれてくるように、同じ「農林22号」と「農林1号」の交配でも、“生まれてくる株”の性質(食味、病気に強い、寒さに弱いなど)は異なったそうだ。そんななか、福井で、食味の素晴らしい「越南17号」が生まれ、それが新品種「コシヒカリ」となった。
(同じ「農林22号」と「農林1号」の交配のより誕生した品種は各地にあり、新潟で誕生した品種は「越路早生」と名付けられた)
一方、新之助も完成というわけでなく、今も病気に強い品種との掛け合わせなどで、さらなる進化を目指している。