新潟県燕市で平安時代の遺跡調査現場が一般公開
貴重な平安時代の遺跡が一般公開
新潟県燕市は12日、米納津地区の東側に位置する「稲葉遺跡」の発掘調査現場を一般公開した。「稲葉遺跡」は平安時代を主体とするムラ跡であり、一般公開には地域の住民などが参加し、燕市教育委員会担当者の検出された遺構や出土品についての説明に耳を傾けていた。
「稲葉遺跡」は燕市米納津の東側に位置し、大通川左岸の沖積地に立地する遺跡。調査面積は約900平方メートル。今回の発掘調査は、県営圃場整備事業に伴う揚水機場建設工事に先立って燕市教育委員会が行っている。7月上旬から9月下旬まで行う予定。米納津地域にはこれまでに「中組(なかぐみ)遺跡」や「江添(えぞえ)遺跡」など、奈良時代から平安時代にかけての遺跡が数多く発見されている。
今回の調査では土器の破片などを合わせて約1,000点の遺物が発見され、今後は燕市が保存する。市では例年2月から3月に「燕市遺跡出土品展」を開催しており、「稲葉遺跡」の遺物も次回の開催に出展される予定だという。
【関連リンク】
燕市webサイト 「燕市遺跡出土品展」
数多くの遺跡が点在する米納津地区
出土した遺物の年代から、「稲葉古墳」は平安時代前期(8世紀後半)の集落の跡であることが判明した。また、調査区では畑の畝と推測される遺構が多数見つかっていることから、当時の農産物生産地と考えられる。さらに、製鉄の際に発生する不純物の塊(鉄滓)も出土し、当時この地で製鉄が行われたことが伺える。
今回の展示では平成6年に同地区の「中組遺跡(9世紀後半)」発掘調査で出土した遺物も展示された。釉薬を塗った焼き物「緑釉陶器」や文字が書かれた「墨書土器」が出土しており、こうした遺物からも高度な技術を持った集団がこの地に存在していた、もしくは先端技術を持った地域と交流があったことが分かる。
「稲葉遺跡」は調査前は枝豆畑だった。畑となっていた用土の下には洪水で堆積した層に混じり、人が火を使い生活したことが伺える、炭の混じる黒い層が存在する。遺跡調査はこうした地層を手がかりに行われる。米納津地区は当時の川(現在の大通川や西川など信濃川の支流と推測される)の沖積地に集落が形成され、度々洪水により人々は移動を余儀なくされたことから多くの遺跡が点在する形になっているという。