古河機械金属の創業地・鹿瀬(現阿賀町)
草倉銅山からスタートして「銅山王」と呼ばれた古河市兵衛
佐渡金銀山ほど有名ではないが、阿賀町(旧鹿瀬町)には「草倉銅山」があった。富士通や、横浜ゴムなどを設立したことでも知られる非鉄金属製品や産業機械の大手、古河機械金属株式会社(旧社名・古河鉱業)の創業の地でもある。
同社の創業者であり、後に「銅山王」と呼ばれた古河市兵衛は1875年(明治8年)、草倉銅山を譲り受け、「古河本店」として経営を開始した。その後、足尾銅山(栃木県)を譲り受け、この足尾銅山の発展を基盤とし様々な産業へと多様化の道を歩み始めたという。
古河グループ(古川財閥)の各社は、ほぼ全てが古河機械金属の一部門としてスタートしている。例えば、富士電機製造(現・富士電機)は古河電工とドイツ社シーメンスの合弁で設立された。また富士通信機製造(現・富士通)は富士電機から分離独立したほか、富士通ファナック(現・ファナック)は富士通から分離独立した。さらに、横濱護謨製造(現・横浜ゴム)は、古河とアメリカ社グッドリッチの提携により設立されたほか、日本軽金属は、古河と東京電燈(現・東京電力)により設立されている。
一方、草倉銅山は1739年(元文4年)の発見が始まりと伝えられ、江戸時代には会津藩随一の山と言われた。古河鉱山の経営となって以降、新技術の導入などで産出量が年間1083トンにまで達するなど隆盛を極め、周辺には6000人余りの人が暮らしていたという。しかし少なからずの坑夫が、坑内での落盤や陥落事故、鉱塵などで亡くなった。現在、 JR鹿瀬駅のほど近くにある龍蔵寺の境内には、銅山で働いていた坑夫たちの無縁供養塔が建っており、毎年7月15日に龍蔵寺で無縁供養が行われているそうだ。