外務副大臣に就任した鷲尾英一郎衆院議員(新潟2区)
新潟2区選出の鷲尾英一郎衆院議員(自民党、現在5期目)が菅(すが)内閣で外務副大臣に就任した。
鷲尾氏は1977年生まれで、新潟市の出身。坂井輪中学校、新潟高校、東京大学で学び、2001年に新日本監査法人(EY新日本有限責任監査法人)に入社した。平成17年に公認会計士、税理士、行政書士として独立開業し、同年執行された衆議院議員選挙に挑戦し初当選を果たした。
菅首相がたたき上げの政治家として話題を集めているが、鷲尾氏も政治とは無縁の家庭で育った。そんな鷲尾氏が、漠然と憧れていたという政治の世界に飛び込むきっかけとなったのは学生時代(95年頃)に勉強していた「慰安婦」、「歴史教科書問題」だ。「証言者が沢山いた(終戦直後の)50年前に問題にならなかったのに、なぜ50年後の今になって取り沙汰されるのか。おかしいと思って勉強していたら世間で言われていることと現実が違う。ところが当時の言論空間はかなり一辺倒だった。本気を出して政治に向かい合わなければならないと思った」と振り返る。
衆院議員になり、当時所属していた党内に、慰安婦議連(慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会)をつくり、(従軍慰安婦に関する強制性を認めた1993年の河野談話発表時に官房副長官だった)石原信雄氏にインタビューもした。石原氏からは「談話は事実とは関係なく政治的に作った文章だった」という言葉を聞いた。その事実を党内で拡げようと思ったが、拡がることはなかったという。
こうしたことを機に、「組織(政党)の中で活動している議員」として、党内で政治的に立場を同じくする人達を増やしていくことを目指すようになったという。
また、当選後も、岡崎久彦氏の「陸奥宗光とその時代」「小村寿太郎とその時代」「重光・東郷とその時代」「吉田茂とその時代」、チャーチルの「第二次世界大戦」などを読み、太平洋戦争(大東亜戦争)などの歴史や外交についての勉強を続けた。コロナ禍で対面のコミュニケーションが難しくなる中、オンラインでの情報発信を強化していて、YouTube「わしお英一郎チャンネル」では「全力にっぽん歴史ばなし」というタイトルで、こうしたテーマについて解説する動画を週に2回のペースでアップしている。「戦争は良いとか悪いとかだけでなく、戦争に至った経緯を現代に生きる我々は学ばなければいけない」と動画配信の目的を話していた。
そうした中で外部副大臣に就任。歴史問題について発信しづらくなるのではないかと尋ねると、「外交は歴史問題で自分たちが正しいと主張する場ではない。共通の利益がどこにあって、対立している部分をどうやって解決していくかが政府の外交では重要。政府の立場の中で今申し上げたようなことに取り組んでいきたい」と語っていた。
拉致問題の解決にも全力
人口減少、農業、拉致問題など取り組むべき課題も山積している。
このうち拉致問題に関しては、衆院拉致問題特別委員会筆頭理事をつとめたこともある。「拉致された被害者の全貌を明らかにして、しっかりと全員帰国させるというのが政府の基本スタンス。それを目指して今後もしっかりやっていきたい」(同)。
農業については、週末に新潟に帰ってくるたびに農家を訪れていたことから、当時の野田首相に「お前が(大臣政務官を)やれ」と言われ、農林水産大臣政務官を経験している。「米で経営がうまくいくのであれば、どんどん伸ばして(規模を拡大して)いっていただきたいが、経営体によってそれぞれ状況が異なり、その経営体に最適な作付けを行っていくことが大切だ。そのためには、補助金メニューを見ながら、どういう作付けが一番経営を安定させることができるか農家自身が経営を考えていかなければならない。例えば水田を活用した子実用トウモロコシの栽培などだ。子実用トウモロコシは殆ど手間がかからず、少ない労力で収入を上けることができる可能性もある。また健康食品としての米粉も需要が高まっている」などと語っていた。
このほか、海外輸出なども挙げていた。
また、目指す社会の姿について尋ねると、「真っ当に努力している人が真っ当に報われる社会を作るべきで、報われなかった人も再チャレンジできたり、世の中に居場所があるという政府を作ったりしていかなければならないと思う。この当たり前を目指しているのが菅総理で私も同じ考え」と語っていた。
一方、新潟2区における細田氏との公認争いについては、「自民党に入党するときに選挙区を動くという約束は一切していない。党からも、(2人とも)全く平等だと言われている。新潟2区でしっかりと活動できる支部長の立場を与えるからと言われ、そういう立場も頂いている」と現状を説明。続けて、「2区の有権者の皆様から信頼をいただくことが一番大切であり、これまでもそのスタンスでやってきたし、これからもそうやっていく」と話していた。
(※)
内外の状況を深慮しよう。
このままで往けば、日本は自滅する外はない。我々はどうすることも出来ないのか。
我々が何とかする外ないのである。
我々が日本を変えることも出来るのである。
暗黒を嘆くより、一燈を点けよう。先ず、我々の周囲の闇を照らす一燈になろう。
微かなりとも、一隅を照らそう。
手の届く限り、到る所にわが燈明を連ねよう。
一人一燈なれば万人万燈である。日本は自ずから明るくなる。
是れ一燈照隅・万燈照国である。