妙高山の麓に佇む明治38年創業の老舗旅館「田端屋」(新潟県妙高市)
自分のふるさとに戻ったように、気軽に立ち寄れ、温もりのある伝統の田舎の宿−−。長野県との県境近く、妙高山の麓に1905年(明治38年)に創業した老舗旅館「旅館田端屋」は、こんな言葉がふさわしい宿だ。田端屋の宿泊客たちは、大自然の空気や、地元食材と手作りにこだわった田舎料理とともに、春は水芭蕉を愛でながらの散策、夏は登山、秋は紅葉、冬はスキーを楽しんでいる。
また妙高はその冷涼な気候、適度な起伏のある地形、充実の体育施設など、多くの名門チームに愛されるトレーニング合宿のメッカということもあり、大学生の合宿にも利用されている。
【写真】食堂
【写真】料理1
【写真】料理2
【写真】料理3
【写真】料理4
【写真】日本酒
歴史と観光を目的に訪れる宿泊客も多く、「希望があれば、ガイドも行っています」と田端屋の女将、加藤宏枝さんは話す。
歴史で言えば、田端屋のある杉野沢には歴史人物ゆかりの地も多く、例えば、木曽義仲と越後平氏が戦った地として知られる。この地に逃げてきた木曽義仲の家臣が浄土真宗開基の親鸞聖人と出会い、教えを受けて、これまでの信仰とともに数珠を捨てたという数珠切川が流れている。
上杉謙信公が川中島遠征の際に根拠地としたで城の跡地もある。さらに、妙高は岡倉天心氏の終焉の地でもある。岡倉天心氏は明治時代に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、法隆寺の貴重な国宝を救ったという。こうした縁があり、毎年6月22日に杉野沢の太子堂(田端屋から徒歩1分)で開催される太子講祭には法隆寺から僧侶が訪れ、御経をあげるそうだ(全国各地で太子講祭は行われているが、法隆寺から僧侶が訪れるのは妙高だけという)。
なお妙高山の語はサンスクリット語の「シュメール」を漢字で意訳したもので、音訳は「須弥山(しゅみせん)」。仏教の世界説では世界中央にそびえる秀麗な高山であるといわれて、「仏教を厚く信仰された聖徳太子との縁も深い場所」(加藤さん)でもある。
また田端屋から徒歩3分の所にたつ薬師堂の御本尊は善光寺と同じ一光三尊阿弥陀如来という。
そして周辺に足を伸ばせば、妙高山、いもり池、苗名の滝、戸隠神社、野尻湖など様々な観光スポットがある。
さらに今後はWi-Fiも完備していることからワーケーションでの利用も見込まれる。
先祖は赤倉温泉の温泉奉行
加藤家の先祖はかつて直江津(上越市)の田端町に住んでいた。「田端町は歴代の領主から魚の専売権を与えられていた町」だったと加藤さんは説明する。その後、領主が直江津にあった福島城を廃城にして上越市の高田(高田城)に移ったのに合わせ、田端町も高田に移ったという。その後、加藤家の先祖の加藤弥之助氏が高田藩の第3代温泉奉行となり、赤倉温泉(1816年開湯)の開湯に尽力し、赤倉温泉の大地主となった。
弥之助氏の息子で、大肝煎であった加藤市郎右衛門氏(大女将・加藤征子さんの祖祖父)は、高田藩主の榊原政令氏の隠し子である亀吉をかくまうなど善行を行なったという(当時は相続の関係で正室以外の男の子は殺害される恐れがあった)。だが、赤倉一帯の土地を持つことや、善行を行うことが周りの反感を買い、公金横領の罪を着せられてしまい、江戸訴訟となってしまった。
こうしたことがあり、赤倉の土地を売り払い、杉野沢に移住し田端屋を開業したのだ。
開業当時、杉野沢には田端屋以外に旅館はなく、杉野沢から数キロのところにある笹ヶ峰集落の農家の人が、田端屋近くにあった牧場に農作業を終えた牛、馬を放牧させるために当宿したほか、徒歩で越後から小谷温泉(長野県)や戸隠参りに行く道中の宿泊者があったという。なお今も田端屋には開業当時に使われていた、小谷温泉案内所と書かれた看板がかけられている。
その後、昭和39年に妙高杉ノ原スキー場がオープンし、周辺にも旅館や民宿が増えていったという。
(小見出し)GoToトラベル、地域共通クーポンで格安料金
一方、宿泊料金は通常、1人8,800円(1泊2食)から、合宿6,500円(1泊3食)からとなっているが、現在、GoToトラベル、地域共通クーポンを使って格安料金で宿泊できる。
例えば、8,800円が5,720円となり、宿泊時のアルコール飲食代なども地域共通クーポンを配布しているため15%やすくなるという。
この機会に田端屋で宿泊してはいかがだろうか?
【田端屋 概要】
住所/新潟県妙高市杉野沢2468
電話/0255—86—6108
部屋/11部屋(6畳、8畳、10畳、20畳)
サイト/https://www.tabataya.net/
本記事は、田端屋提供による記事広告です。