特集「地方同人誌の今」(上)戦後直後の疎開文化が発祥の来年創刊60周年迎える「文芸たかだ」(新潟県上越市)
新潟県上越市で文芸同人誌「文芸たかだ」を発行する高田文化協会は、来年設立60周年の節目を迎える。9年前の50周年記念には、前身の上越文化懇話会の発起人の1人だった雅子皇后の祖父である小和田毅夫(たけお)氏の子息で、皇后の父である小和田恆(ひさし)氏が上越市内の料亭で夏目漱石について講演し、約800人が集まった。
長年地方文化の発展に寄与したとして、文部科学省からも表彰を受けるなど評価が高い高田文化協会の副会長兼事務局長である河村一美(かずみ)さんに、同人誌を取り巻く現状と今後の目標などについて聞いた。
芥川賞作家小田嶽夫氏、カメラマン濱谷浩氏などが編集同人に
「文芸たかだ」の前身である「文藝冊子」が昭和21年1月に「戦争ですさんだ心を文学や美術で癒したい」との思いで創刊された。編集同人には、上越市に疎開していた上越市出身の小説家で、「城外」で第3回芥川賞を受賞した小田嶽夫(たけお)氏、世界的カメラマンの濱谷浩氏のほか、上越市の医師藤林道三氏など7人が名を連ねた。当時、隣接する富山県には版画家の棟方志功氏もおり、いわゆる疎開文化が花開いた。
「文藝冊子」は一旦自然消滅したが、前述の小和田毅夫氏が旧制高田中学(現新潟県立高田高校)の校長を務めるなど上越市に在住しており、「文芸たかだ」創刊の発起人の1人となった。昭和34年5月「文芸たかだ」が創刊され、以来59年間、2か月に1回雑誌を出し続けている。
河村さんの肩書は副会長兼事務局長だが、実質的な編集者として、企画立案や原稿依頼をこなす。その人脈は広く、「毎年、年賀状は400枚書く」(河村さん)というほどだ。「原稿はおかげ様で足りなくなったことはない。次号に回しているくらいだ」と嬉しい悲鳴を上げる。
「(上越市)高田の人は義理堅い。『購読を辞めようと思ったけど、付き合いがあるから、もう少しとるか』という人も多い。実は、高田文化協会は、学校の元先生や研究者ばかりで昔は敷居が高かった。私が事務局に入ってぐっと敷居を下げた」と河村さんは笑う。
また、「毎月自宅に配達されるので安心できる。自分も一緒に成長している気分になるし、
この事務所が文化サロンのようになっており、文芸や美術について話し合える。会員になると投稿できるという点もいいのではないか」と話す。
会員には歴代上越市長や国会議員、県議、市議も顔を揃える
現在の会員は280人。ピーク時は400人いたという。運営費は会費と広告収入が主だ。会員は30代から90代も数人いる。70代が多く、中には60年間入っている人もいるという。会員の中には、歴代の上越市長から国会議員、県議、市議も多く顔を揃えている。
現在の人気コーナーは、世界最古の映画館、高田世界館代表の岸田國昭編集長のコネクションで実現したノンフィクション作家、大山真人氏の小説や会員が書く童話コーナーだ。
「童話は読み切り800字で書きやすいし、読みやすい。また、俳句、短歌も書きやすいので人気がある。やはり、自分のことを書きたい人が多い」と河村さんは分析する。
ところで、実は河村さんは、上越市が主催する上越市出身の児童文学作家、小川未明を顕彰する児童文学の文学賞「小川未明文学賞」の優秀賞受賞者であり、書くことが大好きだという。
優秀賞受賞作は、かつて存在した女性の盲人芸能者の高田瞽女(ごぜ)について書いた児童文学で、400字詰め原稿用紙約70枚の大作だった。忙しい毎日で執筆時間の捻出が課題だったが、この時はたまたま入院していた時で、「ベッドで頭の中で考えていた。退院してパソコンの前で一気に書いた」と話す。
一方、今年が小川未明の生誕140周年であることから、小川未明の作品を読んで世界を表現してほしいと5月号の上越市内の高校美術部に表紙挿絵を依頼した。生徒も快諾し、今年度いっぱい高校美術部が表紙挿絵を担当する。
河村さん「次世代につなげたい」
河村さんは「高校生が興味を持ってくれてうれしい。こうやって次世代につながっていければ」と希望を語っていた。来年の60周年記念イベントは未定だが、心に残るイベントを予定しているという。
「活字離れ」と言われて久しいが、若い世代でも書きたい人は多いと聞く。「文芸たかだ」の歴史が続くためには何が必要なのか。地域の人たちの力を結集して課題を克服してもらいたい。
(文・撮影 梅川康輝)
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