新潟まつりのパネル展示展が新潟市歴史博物館で始まる
過去にはコレラ病で中止も
新型コロナの影響で今夏中止となった新潟まつりのパネル展示展が24日、新潟市歴史博物館みなとぴあで始まった。「市民全員が楽しみにしていた、新潟まつり」展覧会で、新潟市企画提案型文化芸術イベント支援事業として開催され、同博物館エントランスホールに祭りの紹介パネルなどを展示する。同日午前、新潟市の中原八一市長や関係者が参加し同博物館でオープニングセレモニーが行われた。
オープニングセレモニーの挨拶で中原市長は、新潟まつりの歴史や重要性を紹介するとともに、「新潟まつりの歴史を多くの市民の皆様方から知ってもらい、新潟まつりへの近いや関心を高めて、今後の新潟まつりへと思いを繋げてほしい」などと話していた。
新潟まつりの歴史は江戸時代、湊町として栄えた新潟町で七夕に新潟町の人々が運営主体になって行われていた「湊祭」に遡る。
その湊祭では、住吉神社の御輿を「御座船」と言われる車両のついた船に乗せて、昼は1番組から8番組、夜は9番組から22番組が、町人が出す傘鉾、三味線、太鼓、笛、芸の演者とともに町を練り歩いたという(組はいくつかの町内で運営されていた)。
住吉神社は海の神で、多くの漁師が住む洲崎町(現古町通13番町、東堀通13番町)の住民が信仰し、祭りを始めたという説があるが、実際のところはわからないそうだ。また初代新潟奉行の川村修就氏は、祭りを見物したことを日記に記している。
その後、明和5年(1768年)、町民が藩政に抵抗した「新潟明和騒動」で昼祭が中断したことがあるほか、明治5年(1872年)、新潟県令楠本正隆氏が近代化を目指す政策の一環として湊祭を禁止した。
再興したのは明治16年(1883年)。「住吉祭」として新暦8月6、7日に行われたという。だが明治23年(1890年)、コレラ病の流行など世情不安を理由に、住吉祭は中止され、明治43年(1910年)に信濃川で行われていた川開き(隅田川の花火大会にならって明治16年に始まった花火大会)と同時開催されるまで休止となった。
なお、、川開きは昭和13〜16(1938〜41年)、18〜20(1943〜45年)の間、中止となったが、敗戦後の翌年(昭和21年)には早くも再興した(住吉祭、商工祭、開港記念際も戦後すぐに復活する)。
4つの祭りが一つになって始まった新潟まつり
現在の「新潟まつり」は、この住吉祭、川開き、そして、3代目萬代橋の竣工などを受けて新潟の商工業を盛り上げようと新潟商工会議所が提唱し昭和4年(1929年)に始まった「商工祭」、昭和5年(1930年)に始まった「開港記念祭」を一つにして昭和31年(1956年)に始まった祭り。
毎年8月上旬の金、土、日曜日に行われ、金曜日には日本最大級の「民謡流し」、土曜日には「住吉行列」、「新潟キラキラパレード」、「水上みこし渡御」、「市民みこし」、「手づくり子どもみこし」、日曜日には「住吉行列」や、クライマックスの「花火大会」が行われる。
一方、新潟まつりは、昭和39年(1964年)に新潟地震で中止になっているが、今年はそれ以来の中止。これを受けて、小学生が描いた花火の絵を商店街に展示する「花火アート」、21問のクイズを解いてまつり博士を目指す「上古アタック21クイズラリー」、神輿や太鼓で待ちるの雰囲気を感じてもらう「神輿とふれあおう展示コーナー」、新潟まつりへの思いを記したメッセージカードをうちわに貼り付けて展示する「メッセージうちわ」などのだいたいイベントが開催された。
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