上越市の中川幹太市長が上杉謙信公役に、「第97回謙信公祭」(謙信公祭協賛会主催)の出陣行列が3年ぶり開催
「第97回謙信公祭」(謙信公祭協賛会主催)の出陣行列が21日、上越市内の山麓線(県道上越新井線)で行われた。今年は新型コロナウイルスの感染防止対策のため一昨年、昨年と中止になった出陣行列と川中島合戦の再現が3年ぶりに復活。出陣行列では、上越市の中川幹太市長が上杉謙信公役を務めた。
この日は、一般公募した約300人の参加者が上杉軍と武田軍に分かれて、甲冑姿で練り歩いた。謙信公役の中川市長は最後に登場し、馬上で口上を述べた後、「エイエイオー」とかちどきを上げた。
公益社団法人上越観光コンベンション協会のホームページによると、上杉謙信は、武田晴信(信玄)に領地を奪われた村上義清・高梨政頼らを助けるために出陣し、5回に渡り戦った川中島の合戦は特に有名だが、敵対していた武田晴信が今川氏真によって塩を断たれた際、今川の行為を批判し、武田に塩を送ったエピソードは有名。これを、江戸時代の陽明学者・頼山陽(らい・さんよう)が讃えて「敵に塩を送る」という故事が生まれたといわれている。
また、天正6(1578)年、享年49歳で人生の幕を閉じるが、その生涯は戦の連続だったという。妻を持たず生涯未婚を貫くなど、戦国武将としては異色の人物であったといえる。
謙信公祭は越後の戦国武将・上杉謙信の遺徳を偲ぶ祭で、地元の人びとの手によって毎年開催されており、21日18時からは春日山城史跡広場で川中島合戦の再現が行われた。
過去には、歌手で俳優のガクトさんが謙信公役を数年間務めた。近年は、謙信公役を一般公募に切り替え、上越市民の男女が過去2回務めている。