新潟県出身の画家・横山操の生誕100周年を記念する展覧会が新潟市新津美術館で開催中
新潟市新津美術館で23日から3月21日まで、「日本画家・横山操展 ─その画業と知られざる顔─」が開催中である。横山操の生誕から100年を記念したもので、同画家の大規模な展覧会は、2000年に新潟県立近代美術館で開催されて以来、21年ぶりになるという。
横山操は1920年、新潟県吉田町(現・燕市)の生まれ。20歳の時、日本画家・川端龍子が主催する団体「青龍社」の第12回展に作品《渡船場》を出品。しかしその後、軍隊へ召集され、さらに25歳から30歳までシベリアでの捕虜生活を経験した。帰国後は再び青龍社へ所属して絵画を描くこととなり、青龍社脱退後も独自の作風を求め続ける。脳卒中で半身不随となりながらも筆を取り、1973年に没するまで画業を続けた。
横山の絵画は、青龍社脱退後に描いた赤富士の力強い作風がよく知られるが、故郷・新潟県西蒲原を思わせる寂寥感ある風景や、《塔》や《送電線》といった、抽象的で従来の日本画家とは一線を画す近代性を持つ作品など、その多様性と大胆さも魅力である。
2020年は生誕100周年であることから、燕市産業資料館でも特別展が開かれるなど、県内でも取り上げられる機会が多くなっている。
新津美術館の学芸員、斎藤未希氏によると、横山は自らの作品を燃やして破棄してしまうこともあり、初期の頃の人物を描いた作品などは現存しないと考えられていたが、近年燕市などから喪失したと思われていた作品が数多く発見されているという。
今回の展示では、そうした戦前期の作品も公開。14歳で上京した横山が、一壺堂図案社でポスター制作をしていた時の作品から見ていくことで、後に「昭和の風雲児」とも呼ばれることとなる横山の日本画への繋がりを感じることができる。
斎藤氏は「横山操は戦争や病気に阻まれながらも絵を描き続け、日本画壇に新たな風を呼び込んだ。青龍社へ所属して主に東京で活躍したが、晩年は弥彦山や田園風景などに画題をとることも多く、新潟の人が懐かしさを感じる作品も多い」と、新潟にとっての郷土の画家・横山操について語った。
新潟市新津美術館
◯観覧料 一般1,000円/大学・高校生500円/中学生以下無料
○開館期間 1月23日~3月21日
○開館時間 10:00〜17:00(観覧券の販売は16:30まで)
○休館日 月曜日(2月22日、3月15日は開館)
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