【独自】110年を超える歴史がある新潟県上越市の朝市、高齢化課題も若者の新規参入やイベント効果で出店者増

朝市の様子

新潟県上越市の朝市の歴史はゆうに110年を超え、明治時代までさかのぼる。柿崎地区は、日露戦争の戦勝記念として明治39年に始まった。柿崎の朝市は、日露戦争の連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥の名前からもじって、10、5(東郷・トウゴウ)と10日と5日の付く日に設定したといういわれがある。その後、「一の日市(いちのひいち)」と名称を変え、1の付く日に開催している。

また、明治43年から2と7の付く日に高田地区で開催している二・七の市は、旧陸軍が高田に入隊したことをきっかけに、軍隊の人たちに新鮮な野菜を食べてもらいたいということがはじまりだった。時代的な背景もあるのか、意外と軍隊や戦争に関連して朝市が始まるケースが多いことが分かる。

上越市の朝市と聞いて真っ先に思い浮かぶものといえば、「どら焼き」と答える人が多いのではないだろうか。一般でいうところのどら焼きとは見た目が違うが、なぜ「どら焼き」と呼ぶのか、上越市や妙高市の朝市で「どら焼き」を製造・販売している「町田商店」の2代目、町田富洋さんに聞いた。「焼き型に銅鑼(どら)の模様が入っているので、『どら焼き』と呼んでいる」とのことだ。「戦後から商売をしている。75、6年経ち、私で2代目で、引き継いで40年を超えた。1個40円で30年近く売っている。続けてこられた秘訣は、安くて美味しいからで、味を変えずにずっと朝市だけで営業していきた。店を構えてしまうと、毎日あると思うと買ってもらえないじゃないですか。1回で100個買われる人もいる。1か月に休みは3日しかない」と話していた。

「町田商店」の2代目の町田富洋さん

「どら焼き」

また、朝市というと、農家のおばあさんたちが野菜を売っているというイメージが強いといえるだろう。

しかし、上越市役所観光交流推進課の平林朋久主事は「出店者の平均年齢は下がってきている。それは高齢で辞めてしまう出店者たが多い反面、新しい出店者に若い人が多いためだ。品物も今までのように野菜とか魚ではなく、パン屋さんやフリーマーケットに近い人だったり、キッチンカーだったりなど、最近の朝市はバリエーションに富んでいる」と話す。

とはいっても、出店者の高齢化は進んでいる。「5年ごとにアンケート調査を行っており(直近では平成30年)、後継者がいる人は20%弱であった。ほとんどの人は自分の代で終わりという形。この先辞められる方が多いのではないか。一方で、新しい業態が入り、市場にバリエーションが出てきて、変わりつつあるのが最近だ。特にコロナ禍の影響も大きく、問い合わせも含めて『朝市に出店してみたい』という人が多い」と平林主事は話す。

今まで朝市には事業者は出られないとか、会社を持っている人は出られないというイメージが一部にはあったが、令和2年に直江津に店を構える「無印良品」が三・八の市に出店したことをきっかけに、会社関係の問い合わせが増えたという。

「朝市は、出店料が安く、お客さんとダイレクトに接することができるため、例えば『本業はこんなことやっているけれど、あんなことをやってみたい』など事業を試してみる場としても活用いただきたい」(平林主事)。

出店者数は毎年減少傾向にあったが、令和2年度あたりから先述のような新業態が出店し、少し上向きになっている。出店の方法には常時出店と臨時出店があり、臨時的に出店する人の方が増えている。1日当たりの平均の出店者数は、平成29年度が175、30年度が154、令和元年度、2年度がともに131で、3年度に138と上昇に転じた。

なお、出店料に関しては、常時出店(年間通して出店する場合)は1回あたり80円で、臨時出店の場合は1回あたり120円。

「最近は、キッチンカーやパン屋さん、地元のお菓子屋さんなどの出店があり、今までのイメージから変化しているので、ぜひ一度足を運んでいただきたい」(平林主事)。

上越市では、朝市で様々なイベントを企画し、従来の年配客だけでなく、ファミリー層や若年層の取り込みに成功している。上越市では、1、2、3、4、7、8、9の付く日、つまりほぼ毎日朝市が開催されている。天気の良い日は早起きして、近くの朝市に出かけてみてはいかがか。

朝市の様子

(文・撮影 梅川康輝)

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