元プロ野球ロッテの村田兆治さんの死去に伴い、前佐渡市長の三浦基裕氏が追悼文

元プロ野球ロッテのエース、村田兆治さんが11日72歳で亡くなったことに関して、元株式会社日刊スポーツ新聞社社長で、前佐渡市長の三浦基裕氏が14日、にいがた経済新聞に追悼文を寄せた。三浦前市長は村田さんとは、全国の離島から中学生の球児が集まる「離島甲子園」を立ち上げた関係にあり、今年8月には佐渡市で「離島甲子園」が開催された。追悼文は以下の通り。

あまりに突然の訃報でした。村田兆治さんとの付き合いは35年余りに及びました。日刊スポーツ時代の1986年、プロ野球のロッテ担当記者として出会いました。

再起不能と言われながら右ひじ靭帯再建手術(別称トミージョン手術)を決断。2年以上のリハビリから完全復活した大投手は近寄りがたいムードを醸し出していましたが、1年間その懐に飛び込んでいくにつれて胸襟を開いてくれ、長い付き合いがスタートしました。

4年後の夏でした。「マウンドに上がった最後まで責任を持つのが役目」と先発完投にこだわり続けた兆治さんが、試合途中でマウンド降りるシーンが目立ってきたのです。「あの人の性格ならスッパリ引退を決意するかも」の思いがよぎり、久々に直撃取材に向かいました。一本気な性格だけに、こちらも直球勝負を挑みました。「今日は兆治さんの引退を書くつもりで来ました」。すると「お前、書く自信あるのか?」と問われました。思わず「あります」と返すと、「わかった。あとはお前に任せるよ」。いかにも兆治さんらしい言葉を受け取り、翌日の1面で「村田兆治引退」を報じさせてもらいました。

引退後、日刊スポーツで評論家活動しながら、「野球の底辺を拡大したい」と、子供たちに野球を教え歩く全国行脚を開始。その流れの中で、環境に恵まれない離島の子供たちのために国や関連自治体に働きかけ、「全国離島交流中学生野球大会」(離島甲子園)を作り上げました。私が新聞社を退社するや「お前も手伝ってくれ」と言われ、その運営にも何度か関わりました。

今年8月、私の住む佐渡でされた離島甲子園で来島した兆治さんを久々に再開しました。子供たちに注ぐ強い愛情。教えだしたら止まらない野球指導。そこには、いつもの通りの兆治さんがおり、「子供たちのために、まだまだ頑張らんとな」と話した兆治さんの笑顔が、まだ目の前にあります。あまりに突然の死を、まだ受け止めきれません。

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