【連載】「長岡が世界へ誇る養鯉業」(下) 錦鯉の選別 0.2%の世界 クオリティ求めて(株式会社錦鯉新潟ダイレクト)
水深1.8メートルの生け簀に悠々と泳ぐ錦鯉たちがいた。大きいものもいれば、生まれたばかりの小さいものたちもいた。小さいものたちは、これから4~5回の選別を受ける運命にある。こうして最終的に残る鯉は、仮に1000尾いたら2尾程度だというから、錦鯉たちにとってみれば、なかなか厳しい、過酷な世界である。
新潟県旧山古志村(現長岡市)、小千谷市を発祥とし、200年以上の長い歴史を持つ錦鯉は、現在、県内において米と並ぶ重要な輸出品目として成長している。特に2000年代以降、錦鯉の生産は輸出が中心となっており、アジアやヨーロッパを始め世界40か国以上に広がる「クール・ジャパン」を代表とする輸出品目になっている。その一方で、養鯉業者の減少も指摘されており、このままでは輸出が頭打ちとなる可能性も否定できない。養鯉業界では、後継者の育成が重要な課題になっている。
長岡市にある株式会社 錦鯉新潟ダイレクト(長岡市滝谷町1709 田中誠 代表)は錦鯉の生産、育成、販売、輸出を一手に行っている。同社が手がける錦鯉はこれまで様々な品評会の場で、数々の優秀な成績を収めてきた。直近10月に山古志支所で行われた品評会では、同社が育てた紅白88センチ・6歳の鯉が優勝するなど、活躍が目まぐるしい。
同社が立ち上がったのは2015年のことで、中越地震の翌年に当たる。同社取締役で社団法人全日本錦鯉振興会会員の大面富士雄さん(66歳)によれば、地震発生直後に「早めに復興しないと外国人が新潟に来なくなってしまう」という懸念を持ったことから、別々に活動していた4人の生産者同士が、ジョイントベンチャー会社として出資して立ち上げた。以後、若干の人の出入りはあったものの、現在は7名で会社を支えている。
大面さんによれば、現在、周辺の養鯉業者の数は、およそ250~300件ほど存在している。その中で生産者のおおよその傾向として、品質(クオリティ)を求める業者と量(クオンティティ)を求める業者の2種に大別することができるという。大面さんは、「素晴らしい錦鯉を作るためには、我々は質を求める生産者にならなければならない」と考えている。ところが、錦鯉は生き物である。生産において工業製品のように、毎回同じ規格のものを生産できるわけではない。そういう意味で、「クオリティは毎年不安定」だという。
品評会では通常、体格や骨格などのほかに、墨質、紅質、肌の白さなどのバランスをみて総合的に評価される。大面さんは、育てている錦鯉の中で1つとして難がない錦鯉は1匹たりともいないと語る。「染みの色、欠点というのは一つのキャラクター。プラスポイントがマイナスポイントを補っていればよい」と大面さんは考えている。「同じ鯉でも、仕上がる(開花する)まで時間がかかる。鯉の持つポテンシャルをよく考えながら、365日鯉の個性を活かせるような飼育の仕方をする。その間、忍耐力が必要な仕事ではある」と大面さんは語る。「錦鯉産業は生き物が相手なので結果を見通せないビジネス。生産者は、夢をもって、情熱を傾けて幸運を呼び込む努力をすることが大切」と真剣な表情だ。「生産者自身が努力しなかったり、夢がなかったりしたら、幸運の女神は微笑んでくれない」と大面さんの口調は力強い。
日本で生産された80%~90%の錦鯉は、そのまま海外に輸出される。「錦鯉を通して人種・国を問わず、世界の国々と仲良くやっていくというのは錦鯉の趣味のよいところ。錦鯉を扱う仕事をする人たちは、自分たちは国際ビジネスの最先端についているのだという自負心と誇りをもって働いてほしい」と穏やかに語った。仕事に対するしっかりとした情熱と理念を持つ大面さんの元、後に続く若者はしっかりと育っている。長岡の養鯉業の未来は、明るい。そう確信した。
(文・撮影 湯本泰隆)