金属加工の町・新潟県燕市の地場産業と共に歩む燕市産業史料館

新潟県燕市の伝統工芸「鎚起銅器」や煙管などの銘品を展示する産業史料館内のギャラリー

日本国内では1980年代から90年代にかけていわゆる“博物館ブーム”が巻き起こり、全国で博物館・美術館が急増した。しかし、バブル崩壊からは財政などの問題から博物館・美術館の件数は減少傾向にあり、各施設は存続のための取り組みに追われている。

そんな中、設立から半世紀近くもの間「地元の産業に特化する」という独特のテーマを持ち続け、現在も独自の路線を進み続けているのが、新潟県の燕市産業史料館(柳原久人館長)だ。金属加工産業のメッカとして国内外に発信する“燕”という土地で生まれたこの施設について、同館の主任学芸員、齋藤優介氏に話を聞いた。

 

目次

◎経済成長の中で衰退する伝統工芸への危機感
◎産業史料館の歩み
◎博物館という視点から地元へできること

 

経済成長の中で衰退する伝統工芸への危機感

館内に再現された鎚起銅器の工房は、かつて職人たちが実際に使用したものを用いている

燕市産業史料館の設立は1973年、東京オリンピックや“いざなぎ景気”などを経験した空前の経済成長期の中である。しかし、その設立経緯は「好景気に沸く中での設立」ではなく、むしろ衰退していく伝統的な手仕事へ対する危機感から来るものだった。

現代でこそ燕市や三条市の伝統産業は「職人技」として高く評価されているが、高度経済成長当時は手仕事から大量生産へ産業の形態が変化していった時代である。均一な形に規格化された商品が「作れば売れる」中で、燕には伝統的な産業が「かろうじて残っている」と言える状態だった。

そんな中で「産業史料保存会」という市内の工場あるいは会社の経営者の有志で構成された団体が立ち上がった。彼らは、「自分たちのルーツとアイデンティティを喪失した地域は長続きしない」と考え、燕の産業を見つめ直す施設を造ることを目指していく。燕に拠点を置く協栄信用組合が当時、創設20周年であったことから資金面で寄附を受けるなど、市の施設でありながら産業史料館には多くの地元企業や団体の協力を得て設立された。

一方で、現在の燕市の金属産業の主力は、BtoBに代表される、精密な部品加工であることにも言及しておかなくてはならない。しかしそれらも、金属加工の歴史と土地の素地に成り立つ存在であり、同じ土地の中で手仕事と共存することが特徴的なのである。

齋藤氏は史料館の存在について「当時の職員や保存会は『こんな施設つくって誰が来るのか?』と言われたと聞いている。しかし、この施設は人を呼ぶことが目的ではなく、記憶を残すことが目的だった」と話す。しかし現在では、「地元企業にとっては、 “ルーツを確認する大切な場所”になっている」という。

戦後から高度経済成長期にかけて、産業の近代化を通じ忘れられていった地場産業は多い。しかし、燕三条の産業は現在でも地域に残り続け、発展と拡大を続けていることは周知の通りだ。その要因として、「産業史料保存会」のような技術と精神の継承に情熱をかけ、産業の理念を問い続けた人々の存在は大きいだろう。

 

産業史料館の歩み

燕市産業史料館の主任学芸員、齋藤優介氏

齋藤氏は地元・燕市の出身。2003年に燕市産業史料館に学芸員として就職した。当時は現在よりも規模が小さく、来場者数は年間4,000人ほどだった。「地元なので訪れたことはあったが、深くは知らなかった。先人たちの想いを汲み、写し取っていくことから始まった」と齋藤氏は当時を振り返る。

長らく産業史料館は「本館」と「丸山コレクション矢立煙管館」のみだったが、2006年、故・伊藤豊成氏から世界のスプーンコレクションを寄託されたことがきっかけとなり、2008年に「新館」が開設。それまで伝統工芸品が中心だったが、規模の拡大に伴って戦後から現代へ至る燕の金属製品も数多く展示されるようになり、同時に特別展を増やすなどの取り組みにより、来館者数は徐々に増加していく。

さらに、2019年には本館を開館以来の全面リニューアルに加えて「体験工房館」を開設し、それまでイベントブースとして時折開催されていた「金属加工体験」が常設となった。産業史料館の新型コロナウイルスが流行する以前の来場者数は1万5,000人に迫り、鈴木力燕市長はリニューアル当時、産業史料館を「燕の産業観光の拠点」と高く評価した。

リニューアルされた本館

本館では燕の風土・地形の面から産業の歴史を解説する

バブル崩壊以降、全国的に博物館へ対する予算が削減されていく傾向がある中で、燕市産業史料館ほど活気のある施設は珍しい。齋藤氏は「元々、企業・工場や産業振興をテーマとした当館は、全国の博物館の中でも稀有な存在で、その個性が時代に認められ始めている」と分析する。

 

博物館という視点から地元へできること

燕市産業史料館は、元は行政ではなく民間の動きから始まり、職人たちの歴史を保存し続け、そして燕三条で産業観光への動きが活発化する中で、産業史料館も「観る」から「体験する」を強化することとなった。

体験工房館 内観

現在も産業史料館の職員は、燕市内の企業と「人と人としての関係」を築きながら活動を進めている。「博物館は言ってしまえば、自治体にとって究極の赤字事業になりえる存在。しかし、利益を生み出すことだけが自治体に求められることではない。いかに地域を良くするか──当館で言えば、『地場産業へどのように貢献できるか』。地方の博物館が生き残るためにはそれが重要で、私達もそれを常に考えている」(齋藤氏)。

オープンファクトリーなど燕三条企業独自の取り組みは有名だ。しかし、経済を俯瞰し、歴史と精神を記録し続ける視点は博物館だからこそ可能な立場である。「当館は、地場産業と共に歩み続ける博物館」。齋藤氏が話したその言葉に、他博物館と一線を画す精神性が表れていた。(文:鈴木琢真)

燕市産業史料館 外観

 

【関連リンク】
燕市産業史料館 webサイト

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