「神は細部に宿る」 カラフルな“くまちゃん”に創業106年に裏打ちされた技術力を知る 株式会社プレテック・エヌ(新潟県長岡市)
何気なくSNSをみていたら、画面上に突然、カラフルに色づけされた“くまちゃん”の姿が現れた。個体ごとにアルミの円柱から削り出して、カラーアルマイト処理を施したものだという。あまりにも精巧に作られているで、購入しようと思ったが、残念ながら非売品である。普段は、展示会などでお披露目されているという、この“くまちゃん”を製作したのは、長岡市を拠点に切削・研磨加工、機械組立などを行っている株式会社プレテック・エヌである。同社管理部部長を務める永井邦幸さん(41歳)がCADで図面を設計したものを元に、同社社員がアルミニウムの円柱材よりNCフライス盤で切削した。限界ギリギリの角度から工具を入れ、足と足の間の“股”の部分も精密に加工している。そんな高度な加工技術をもつ株式会社プレテック・エヌの歴史について、永井さんから話を伺った。
かつて長岡では石油が採掘された。東山油田といい、明治末期から大正初期の全盛期には年産6万キロリットルを産油した。長岡地域の機械工業の歴史はこの油田の発展と密接に関係している。石油を掘るには大型の採掘機械が必要になる。使用している機械が故障などをすれば当然、修理が必要になる。次第に自分たちでも製造したほうが、コスパが良い。そういうわけで長岡には大正時代から続く長い歴史を持つ工場が多い。
長岡市の雲出工業団地にある株式会社プレテック・エヌも、石油の発展とともに発達してきた。創業は1916(大正5)年4月である。長岡市の中島で「永井鉄工所」として永井徳松氏による。創業当初は、石油掘削機の部品を手掛けていたが、創業後まもなく、会社の経営の方は、徳松氏の兄であった由蔵氏の手に委ねられたという。一見、順風満帆に進んでいたかのように見えた工場経営だったが、1945(昭和20)年8月に発生した長岡空襲で工場を焼失した。ところが、その後の復興に向けた動きが速い。終戦後2ヶ月で、今度は金属加工業者として再出発したというのだから、当時の人の逞しさは素晴らしい。
1953(昭和28)年には、由蔵氏の養子である正六氏が後を継いだ。戦後からの復興時期にあたるこの時代、長岡市内の中小企業の多くが工作機械を自ら開発し、販売していたという。同社でも同様に、工作機械の開発と販売に着手した。そして、鋳物製の各種産業機械部品や金型など、用途に合わせて、フライスや穴開け機能を持つNH型といわれるものを開発した。東京や名古屋などの金型メーカーなどからの受注が相次ぎ、忙しい日々が続いたという。
ところが、1970年代後半頃から、工作機械業界にNC化の波が襲う。それまでは、人力による手動で機械を制御していたのに対し、制御装置にコンピュータを持つ工作機械が現れたのである。これにより、工作機械をコンピュータによって、自動制御することができるようになり、今までのような熟練した職人技がなくても、一定の品質を保った製品がコンスタントに生産できるようになった。まさに工作機械業界の産業革命とでもいえるだろう。時代の流れに対応できなかった地元のメーカーは、次々に工作機械業から撤退した。その流れに、さらに追い打ちをかけたのが、オイルショックなどによる景気の悪化である。それまで売れ行きがよかった同鉄工所も工作機械製造事業から撤退せざるを得なかった。
このような困難な中、1988年(昭和63年)には正六氏の息子である隆夫氏が代表取締役に就任する。隆夫氏は、商号を永井鉄工所からプレテック・エヌに変更した。商号の由来は、“正確(Precise)な技術(Technology)と革新(New)を”という孝夫氏自身が編み出した造語である。体制を立て直し、心機一転で再出発である。この頃から、同社の主要事業のひとつである産業機械の設計・組み立てなども行うようになった。
2016年(平成28年)には創業100周年を迎え、4代目の永井宏明氏が代表取締役を引き継いだ。従業員60名。女性も生き生きと活躍している。現在は産業機械を扱うほかに、車載用スピードセンサーの部品加工・組立なども行っている。
特に近年、同社が製造と販売に力を入れている製品の一つが、「円筒面精密彫刻ロールユニット」だという。これは、食品加工工場などで使用されている液体充填機の主要部分として使われているもので、真円度や同軸度など、僅かな違いが生産性に大きく影響する。そのため、製造にあたっては、顧客からの要求も厳格である。同社は、これまで石油掘削機の部品やスピードメータ部品の製造で培ってきた加工技術の上に、マシニングセンタなどの工作機械の技術を加えて、高品質なロールユニットを製造している。
永井さんによれば、今まで同社は営業の力を借りずに、職人の技術だけで仕事をしてきた。ところが、世の中の流れが急速に変化している現在において、従来通りの営業ない状態では、仕事が成り立たなくなってきた。「営業という分野にも挑戦をしながら、フィードバックできるようにしていきたい」と永井さんは力強く語る。
最後に、「どうして御社の素晴らしい技術を紹介する展示用のサンプルが、“熊ちゃん”なのですか?」と永井さんに聞いてみた。すると一言、永井さんは「子どもの頃から好きだったんですよ、“熊ちゃん”が。」と語った。
なるほど。納得の回答である。
株式会社プレテック・エヌの”くまちゃん”には、100年を超える技術力の粋が、しっかりと反映されていた。
(文・撮影 湯本泰隆)