【インタビュー】国内屈指のサウンドプロデューサー・松浦晃久氏が語る、成功する表現者の共通点と新潟県で成し遂げたいこと
2022年9月に開催された、日本最大級の踊りの祭典「にいがた総おどり」の実行委員会副会長を務めるなど、新潟に移住して1年目にしてすでに大きな功績を上げている音楽プロデューサーの松浦晃久氏。そんな松浦氏に音楽との出逢いなどのプライベートな話や現代の音楽に対する所感、松浦氏の今後の展望などをインタビューした。
■松浦 晃久(まつうら あきひさ)
1964年4月30日生まれ、東京都出身。株式会社Sight(新潟市中央区)所属、新潟総踊り祭実行委員会副会長および音楽監督。
「音楽はハート」をモットーに、平井堅、絢香、德永英明、JUJU、中島美嘉、秦基博、miwa、リトルグリーモンスター、小山豊(津軽三味線)など、多岐にわたり数多くのアーティストを手掛ける。近年では、「国民文化祭オープニングアクト」や「にいがた総おどり」の音楽監督、映画やドラマのサウンドトラックなど、その活動のフィールドを拡げている。(Sight提供資料より引用)
松浦氏の仕事について
最初に松浦氏の活動内容について問うと、「元々は音楽家なので、いわゆるアーティスト。J-popのアーティストと一緒に音楽を作ることが多いが、仕事としては色々あって、もちろん楽器を弾くこともあるし、曲も書く」と話した。
続けて、「それから、シンガーソングライターと一緒になって、(シンガーソングライターが書いた詞曲の)歌詞の内容を突き詰めたり、どういう方向で書いていくのか、どういう表現があるのだろうとか、曲を一緒になって作ってみたりだとか、端的にいえば『プロデュース』をしている」と説明した。
サウンドプロデュース業について
松浦氏がプロデュースするアーティストとの接し方については、「お互い人間だからさ」と松浦氏は前置きし、「得意不得意がある。だから、得意なものを持ち寄って『それをやるのだったら、これもやってみてよ』と提案する」と。
そして、笑みを浮かべながら楽し気に、「アーティストによっては、自分の才能を持て余している人もいる。『どっちに向けてボールを投げたらいいのかわからない』みたいな。とにかく肩だけが強いみたいな」と例えを交えながら語った。
続けて、「自分の中になるべくたくさんの引き出しがあって、その人に合ったものを出してあげられる人でありたいなと、若いころから思っている」と今に続く信条を語った。
幼少期の話
松浦氏は自身の幼少期を振り返り、「作曲家」、「アレンジャー」、「プロデューサー」を志したきっかけについて語る。
「僕が聴いていた頃は70年代だから、カーペンターズだとか、クイーン、スティービーワンダーとかツェッペリンが、みんな現役の時で、音楽が1番ミクスチャーな時代だった」
その中で特に印象深い思い出について松浦氏は語る、「カーペンターズのカバーソングを聴いて、全然違う曲になっていることに驚いた。もとの曲も良いし、カバーも全然違うけど素敵だなと思った。世の中にはカーペンターズが、こういう風にやったらいいだろうなって想像できるやつがいる。ということは『誰も聞こえない音楽が聞こえてる人』がいると思った。そういうことを感じられる人は凄いなと思った」と反芻した様子で話した。
続けて、「後から考えたらまさにそれはプロデューサーの仕事だった」と語った。
自身の生い立ちについて
「若い時期には『野心』を持っていた。『日本の音楽界を変えてやるんだ』とか『童謡と演歌と歌謡曲しかない音楽の業界を変えてやるんだ』みたいな気持ちを持っていた」と現在までに数多のアーティストを手掛けてきた松浦氏は話す。
「もちろん、日本の音楽は大好きだ。でもなんか、自分が子供のころに聴いていた海外の音楽が持つ『自由』と『発想の豊かさ』が日本の音楽には足りないって、その頃は勝手に思っていた。そんなことを考えていたら、その気になって割と傲慢に音楽を作っていた時期がある」と振り返る。
続けて、「20代の前半くらいの時、当時売れていたアイドル歌手の新曲をやることになった。多分、ディレクターが気を遣ってくれていて、『手加減しなくていいから、思う存分やってください』といわれて、いい気になってしまった」と自身の失敗談について苦笑いを浮かべながら話した。
「英語が入っていた曲だったので、『もう完全に洋楽にしてやる』という気持ちになって、かなり気合を入れて音楽を作った。結果、出来上がった音楽を聴いたら酷かった」自身の記憶を辿りながら失敗談を話す松浦氏。
一息飲んで、「『歌手の歌が下手に聴こえる曲』を作ってしまったと感じた。その後、なんとか製品になり、世の中的に見たら、まぁまぁの作品に映っていたのだろうけど、自分から見ると敗北感しかなかった」と裏舞台での苦悩を語る。
「要するに、音楽は『結果』だから機嫌が良く聞こえないのだったら、どんなに素敵で、崇高なビジョンを持って作ったとしても、結果、機嫌の良い音楽じゃなかったら、何の意味もないとその時に思った」と、得た教訓について話した。
「そういう経験をして、「素敵なもの」に対する価値観が変わった。以来、(プロデュース業をする時に)どういう人とやっても、その人の良さを引き出すことができない懐では駄目だと思いながら活動している」
現代の音楽について思うこと
松浦氏に現代の音楽についての所感を問うと、困ったように「えー」と少し困惑した表情を浮かべながら少し考え、「ポピュラーミュージックというぐらいだから、今のものは今のものだと思う」と前置きし、「大前提として、『いつの時代も今のものを作っている人』は、『前のものを作っていた人に批判される』。そのジレンマを代々抱えてきていると思う」と話した。
一瞬、間を置いてから、「その中で、素晴らしいなと思うものは結構ある。素敵だなと思ったり、今のちょっと不思議だなと思うこともある」と話すと、松浦氏は何かを思い出したような表情を浮かべた。
「若い人って、デバイスに依存しがちなところがあると思う。音楽もDTM(デスクトップミュージック)が発達してきて、主役みたいになってきている」順を追いながら現状の音楽について松浦氏は語る。
続けて、「あまり人が介在しなくて、PCの中で作ったものがそのままアップロードされて、YOUTUBEになったり、ストリーミングになったりする。いってみれば、『空気を1つも振動させずに音楽が成立する』みたいなところがある」
さらに、「そういうものが中心になってきているので、若者たちはバーチャルなものでしか音楽を作れなくなってきているって、偏見で見られているところがあると思う。でも、実際はずっとベースを弾いている人とか、ずっとギターを弾いている人が結構いて、みんな上手なんだよね」と話した。
「実は『多様化』という言葉はそういった面でも出ていて、一見、ほとんどの人がデバイスを駆使したバーチャルな世界に生きているようだけど、実は『まったく僕には関係ない』という感じで自分のリアルに没頭している人もたくさんいる。そういう人がいるということが、世の中であんまりピックアップされていないように感じる」
松浦氏が語る、表現者として成功する人の特徴
音楽業界に身を置き、数多くの人を見てきたであろう松浦氏に成功する人の特徴について問うと、「今までの経験則でいうと人前で成功する人って、『あいつと一緒にいると悪目立ちして恥ずかしいから嫌なんだよな』って、言われている人の方が活躍する。そのぐらいじゃないとダメなんじゃないかと思う。僕も多少そういうところがあると思うのだけど、音楽をやっている人で、何とかなっている人って、大概、そういう要素を持っている」と話した。
続けて、「ある時期に、馬鹿みたいに集中して物事に取り組むやつがいる。周囲の迷惑や将来への不安とかを一切考えられずに、それに邁進する。『お前のレベルとお前の経済力で、どうしてそんなに高い楽器を買っちゃうの』ってやつがいる。それに、『すげえ良い音楽聴いて、すげえ興奮しちゃったんで。それから3日ぐらい曲書いているんだよね』みたいなことを平気でいうやつもいる」と笑いながら話した。
そして、「そういう時期がない人って、経験上、あまり成功していない」と豊富な経験則から来る所感を述べた。
松浦氏が現在取り組んでいる事業「アート・ミックス・ジャパン」について
新潟での取り組みについて、「『にいがた総おどり』で1番大切にしていることは、「新しい未来に繋げていく」という事を大切にしている。伝統を伝統のままやっていくのではなく、若者たちが作り、若者たちが未来を創っていくことが大切。それには、伝統を知るということが大事なことだ」と説明した。
「一方で、「アート・ミックス・ジャパン」はそれに対して、伝統的なものを知る機会を設けようというのがコンセプト。知る機会がないということは良さもわからないと思う」と語る。
そして、松浦氏は、「世の中には歴史はあるけど、歴史が歴史だけで終わってしまっているものがある」と前置きし、「芸能として、『今を生きているもの』がある。『生き残っているということは、生き続けている』ということ。そういうものを多くの人に知ってもらう機会を作りたいというのが(『アート・ミックス・ジャパン』に取り組む)大きな理由」と語った。
新潟県人の特徴について、「新潟の良いところの1つは、じっくり育むところだと思う。簡単に浮かれて、簡単に捨てるいうことをしない人たちだと感じる。そういう懐の広さと強さがあると思っている」と、所感を述べた。
松浦氏が今後、新潟県で成し遂げたいこと
今後の目標について松浦氏に話を聞くと、「1つは、『新潟から大きく羽ばたくシンガーソングライター』を生み出したいと思っている。新潟出身で、しっかりしたものを世の中に送り出したい。そういう出逢いがないかなと思って、今探している」と話した。
さらに言葉に熱を込めて、「もう1つは、『にいがた総おどり』を「日本」の「風物詩」にしたい」と宣言した。
松浦氏は、「新潟県人って、観察していると東京にコンプレックスを持っている人と、そんなの関係ないって完全に無視している人がいるように感じる。いきなり『新潟から世界へ』って感じ。段階をすっ飛ばして考えている人が個人的には好きだ。だから、そういう人を巻き込んで、(『にいがた総おどり』を)日本の風物詩にしたいと思っている。『ねぶた』とかみたいに季節になると全国の人が口々に『ねぶたの季節だね』って口ずさむみたいに。新潟には『にいがた総おどり』があるという風にしたい」と語った。
目標を達成することで、「新潟を知ってもらったり、新潟に来てもらったり、新潟は面白いと思ってもらったりするきっかけになると思っている」と話した。
加えて、「今取り組んでいる『アート・ミックス・ジャパン』も同じことで、全国の伝統芸能が注目されるようなきっかけになるイベントになったらいいなと思って取り組んでいる。それこそ世界中の人が、日本にはこういうものがあって、『日本の伝統芸能』ってこういうものなのだと知ってもらいたいと思っている」と、松浦氏は今後の展望について語った。
新潟で成し遂げたいことを胸に、松浦氏の挑戦は続く
【関連リンク】
アート・ミックス・ジャパン
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