寺泊の地域住民や観光客などに菓子を製造販売する株式会社西山製菓(新潟県長岡市)

和菓子の他に、洋菓子、季節菓子なども製造販売している

老舗菓子メーカー、株式会社西山製菓(新潟県長岡市)は、寺泊アメヤ横丁(寺泊魚の市場通り)のすぐ近くに店舗を構え、地域住民や観光客などに菓子を製造販売している。

創業は明治40年(1907年)ごろで、創業から110年ほど経っていることになるが、その半分弱の期間に当たる50年近くに渡り同社の経営を担っているのが、3代目代表取締役の西山孝さん(81)だ。

 

50年にわたり経営者として新規事業に挑戦

創業者は西山代表取締役の祖父。長岡市の農家の長男として生まれたが、農業を継ぐのが嫌で長岡市の菓子屋で菓子づくりの修行に携わったという。その後、独立を決意し店を構える場所を探していた時、大河津分水(明治42年に本格的な工事が始まり大正11年に通水)の工事が始まっていた寺泊町(現・長岡市)を訪れ、活気があったことから、旧寺泊町の旧北国街道沿いに店を構えた。これが西山製菓の始まりだ。

2代目社長(西山代表取締役の父親)も長岡の和菓子店で和菓子のほか、パン、饅頭、粉菓子、かりんとう、飴、煎餅作りに携わった後、西山製菓に入社。その後、経営者として事業を拡大していった。

さらに西山代表取締役自身も巻高校を卒業後、長岡の福泉堂に入社し、パンや洋菓子、生菓子作りなどに携わった。「冬でも毎日、自転車で配送を行なった」(西山代表取締役)と当時を振り返る。その後、西山製菓に入社。ただ入社当時は経営者の息子ということもあって、仕事に明け暮れるということはなく、「(高校時代にやっていた)柔道の教室を開催したり、野球チームに参加したり、スキー場に行ったりして毎日を過ごしていた」(同)という。

30歳を少し過ぎた頃、社長である父親に、製造工程の機械化を推進するとともに、冷凍庫を設置して在庫を所有するなど経営の近代化を提案。しかし、父親から返ってきた答えは、「今まで手作りで日々製造してきたのだから、このままで良い」というものだった。その後も様々な場面で父親と衝突し、終いには「会社から出て行く」と宣言したという。「そうしましたら、父親の方は後継者である私に出ていかれると困るものですから、経営権を譲ることにしたのです」(同)。これが32、33歳の頃だ。

経営権を握った西山代表取締役は、様々な事業に挑戦した。団子をおろしていた浜茶屋の羽振りの良さを見て、自分で浜茶屋を所有して販売したら販路が拡大すると、30歳代の頃、自らも浜茶屋を所有し団子の販売を始めた。折しも当時は海水浴ブームで、浜茶屋は面白いように流行ったという。「参加していたチームの慰労会を始め、多くの懇親会も入り、夜は12時近くまで仕事をし、朝は群馬県などから海水浴に来るお客様のために5時ごろから仕事をしていました。寝る間もありませんでした」(同)

また、40歳代の頃、地元の銀行が売りに出していた物件(海の家、現在の西山製菓店舗)をさしたる目的もなく見学したところ、「屋上に登ったら佐渡島が綺麗に見えて欲しくなり、購入しました」(同)。物件はその後、民間旅館に改装し宿泊事業を開始。しばらくして首都圏の大企業などが福利厚生施設として利用する目的で、夏期限定だが長期契約をしてくれ、安定収入をあることができたという。ただ、改装費を含め借入金が1億円(当時の金利は7、8%程度あった)増え、「浜茶屋の収入がなければ、厳しい状況に追い込まれていたと思う」(同)と話す。

同じく40歳代の時には、寺泊水族館の開業と同時に同水族館の売店で土産販売を開始(現在も同社運営も売店はある)。その売店では、フィリピンに行っている友人のツテを頼って、同国で貝を買い付けて加工、それを材料にシャンゼリアを作り販売した。そうしたところ、「菓子よりも売れた」(同)という。

一方、観光客が減少する冬期間の売り上げが減るという経営課題の克服にも注力した。40歳代の頃、東京の百貨店を巡り、おはぎの実演販売を始めたのだ。だが、競争は激しく売れなかったという。そこで、地域の郷土料理「おこわだんご」を参考に「いが栗だんご」を開発し、その実演販売を行った。「おこわのなかに団子を入れた和菓子で、おこわは百貨店で炊いて、それに団子をくるむ工程を来店者の前で行いました。すると物珍しさもあり、人気に火がつきました」(同)

いが栗だんご実演販売の噂は、百貨店業界のなかで広まっていき、全国の百貨店で実演販売をするまでになったという。また毎年ハワイでの実演販売も行なうようになり、「日系2世の人たちとの交流が深まり、日本を見つめ直す絶好の機会にもなった」(同)と振り返る。

最近では、コロナ禍の昨年暮から、長岡市の蓬平温泉の旅館3軒で「蓬平まんじゅう」の販売を始めた。「今はまだそれほど売れてはいないが、Go Toキャンペーン再開後に販売が伸びてほしい」(同)と期待する。

西山孝代表取締役

 

目下進行中の後継者問題の行方は

50年近くにわたり経営者として同社を牽引してきた西山代表取締役だが、いま後継者をどうするかという問題に直面している。長男と長女がいるが、長男は三条市で独立し、ケーキ・焼き菓子の「ビアンポポロ」を経営している。また長女は別の仕事に従事しているという。さらに孫が2人いて、1人は菓子学校を卒業し菓子メーカーに就職、もう1人は菓子学校で勉強中だ。

「長男に引き継いでもらうことも考えていますが、三条と寺泊では距離があり過ぎる。このため孫にも期待をするわけですが、迷っています」(同)と打ち明ける。「私は子供の頃から、『お前は三代目だから』と言われ続けて育ってきたので経営を継ぎましたが、実は『孫たちは経営者になるよりも会社勤めの方が幸せではないか』と思っています。M&Aも選択肢の一つとして考えています」(同)

◎株式会社西山製菓

住所 新潟県長岡市寺泊磯町9764—31
電話 0258—75—4735
ファクス 0258—75—3786
取扱商品 和菓子、洋菓子、季節菓子
http://www.nishiyamaseika.jp

西山製菓。寺泊アメヤ横丁(寺泊魚の市場通り)のすぐ近くにある

こんな記事も

 

── にいがた経済新聞アプリ 配信中 ──

にいがた経済新聞は、気になった記事を登録できるお気に入り機能や、速報などの重要な記事を見逃さないプッシュ通知機能がついた専用アプリでもご覧いただけます。 読者の皆様により快適にご利用いただけるよう、今後も随時改善を行っていく予定です。

↓アプリのダウンロードは下のリンクから!↓