【連載小説】「シェアハウスの幽霊」第2回 早川阿栗・作
ピンキーの結婚生活はそれなりに順調なようだ。高校卒業後も新潟に留まり、康太とは異なる人生を歩んできた。息子は小学四年生まで育っている。自らの破綻した結婚は別にしても、同級生の身の上話は違う世界のできごとみたいだ。アロハシャツに長髪姿の男からリアリティのある日常が語られる。
ピンキーは近々、古民家シェアハウスの経営を始める予定だ。古町の建物をリノベーションしたもので、外観と雰囲気はそのままに「モダンでスタイリッシュなライフスタイル」を提案、というコンセプトらしい。ありきたりな広告風のフレーズを強調するようにピンキーは声を張った。康太には該当する建物に覚えがなかった。どうしてそんな仕事に関わっているのか、想像もつかない。だが、詳しく尋ねることなく、シェハウスの話は流れてしまった。
話題があちこちに逸れていくうち、ふいに津森朔美の名前が出てきた。共に小中学校の同級生だった彼女が半年ほど前に離婚してこちらに戻ってきているようだ。その情報を与えると即座にピンキーは連絡を取った。康太に断りもなく、あっという間に話をつける。朔美が合流するという。
康太たちが通っていたのはいわゆる附属校で、住む地域は市内でもばらばらだった。高校はそれぞれ別のところへ進んだが、ときどき衝動的に開かれる同窓会、夏休みや冬休みの飲み会などで、細いつながりはある時期まで続いていた。
二軒目となる沖縄料理の店へ移ったあと、遅れて朔美が現れた。会うのは大学生時代のプチ同窓会以来だ。病的に痩せていた最後の印象からすると、だいぶ健康そうに見えた。
「ひさしぶりだね、康太くん」
第一声もまた快活で過去のイメージが揺らぐ。かつて、康太くん、という呼び方をされたことがあったのか、記憶があやふやになった。朔美は康太の隣に座り、一杯目から泡盛のお湯割りを注文した。にこにこ太郎だよ、とうれしそうに銘柄を口にした。
朔美の近況もまた本人によって改めて語られる。その内容はピンキーの前情報からイメージされる様子とはいくらか違っていた。
朔美は東京で出会った浪曲師と結婚して女の子を産んだ。全国各地を奔走する夫といつか共に営業を回るため、それどころか同じ舞台に立つため、彼女自身は三味線を習っていた。
曲師の先生からの指導は厳しく、子育てと家事を切り盛りしながらの修行だった。結局、夫の横で弾くことは一度も叶わなかった。離婚後、娘は夫とその両親と暮らすことになった。
南家福心という名の浪曲師は演芸ブームに乗じて、売れかけている。ただ、康太はその存在を知らなかった。そもそも落語や講談にも関心を持ったことがない。ピンキーは理解あるような口ぶりで聞き手となっていたが、何度も福心の名前を間違えた。
「ここまで苦楽を共にしてきたのに」
恨みごとをつぶやき、朔美はお湯割りをゆっくりと飲み干す。凛としたたたずまいのせいか、表情もまた穏やかに見えた。ただ、親権を巡る話し合いの際に対決姿勢を取らなかったことを朔美は悔いている。向こうの家族の強い意志と懐柔策によって、娘との生活を諦めてしまった。あちら側で暮らすほうが幸せなのではないか、という気持ちを最後までどうしても否定できなかった。娘を引き取った際の生活において明るい面を見出す想像力をわき起こせなかったことで自らを責めていた。
ピンキーが涙ぐむ。鼻水が垂れ、小指のない左手で拭う。
「ひどいよな、マルフク」
「マルフクじゃなくて、福心だって」
二人のやり取りが素通りする。康太は何もかもぴんときていなかった。想像力が死んでいるのは自分のような気がした。この中で子供がいないのは康太だけだった。
大学生になって、はじめての同窓会で顔を合わせたときの朔美の姿を思い出す。再会はおよそ一年ぶりだった。朔美は髪を腰のあたりまで伸ばしていた。小中学生のころはベリーショートだったため、その変わりように康太はずいぶん驚いた。
どちらも東京の大学に進学していると知ったものの、特別にコンタクトを取らなかった。二人以外にも似たような状況の同級生はたくさんいた。康太はその誰一人とも東京へ戻ったあとでも関わりを持とうと思わなかった。彼ら彼女たちは、地元で会い、関係を温め、過去を懐かしむ、それまでの存在だった。それからの数年間、何度か会ううち、朔美はどんどん痩せていった。(続く)
早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。
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