【独自】世界を転戦し、最後に選んだのは故郷・妙高 元ワールドカップスキー複合選手、曽根原郷さん(新潟県妙高市在住)に聞く
ワールドカップで世界を転戦
冬季スキーワールドカップといえば、読者も女子ジャンプの日本代表、高梨沙羅選手などの活躍をテレビや新聞で見る機会があるだろう。ワールドカップ選手と言えば、トップアスリートで、基本的には「テレビの向こう側の人」であり、普通では会えない人である。しかし、新潟県妙高市に、昨年まで現役バリバリのワールドカップ選手(スキー複合)だった人がいる。スキー複合は、ジャンプとクロスカントリーの両方で競う競技で、キングオブスキーとも呼ばれる。
北欧やヨーロッパを転戦し、フィンランドに行けばサウナに入り、ドイツに行けばビールを飲むという具合にその国を存分に楽しんでいたという妙高市在住の曽根原郷(ごう)さん(29歳)だ。昨年春、故郷の妙高市にUターンし、現在は妙高市テレワーク交流施設「MYOKO BASE CAMP」に勤務している。
第1印象は「細い」である。トップアスリートのイメージよりは華奢で、失礼だが、とても世界を股にして活躍していた人物には見えなかった。「重いと飛べないんです」と曽根原さんは笑った。そんな曽根原さんに現状と今後の夢などを聞いた。
清水礼留飛選手と同じ集落で同級生
――スキーはいつから始めたのですか?
私の実家の裏に、パノラマスキー場というスキー場があり(現在は廃業)、保育園の時からアルペンスキーをそこで滑っていました。小学校からは、クロスカントリースキー部があり、1年生から旧妙高高原町の試合に出ました。
ジャンプは、同級生で同じ集落の清水礼留飛(ソチオリンピック団体銅メダリスト)君のお父さんに誘われて、小学校5年生から始めました。当時は、30、40メートルくらいでしたね。今の小学生は、札幌・大倉山のラージヒルで120メートルくらい飛んでいく子もいます。中学校では、全国中学校スキー大会の複合で最高でも17位でした。
清水礼留飛君、お兄さんの亜久里さんと私の3人が、旧妙高高原町の兼俣という家が数件しかない同じ集落の出身でした。礼留飛君と亜久里さんは早くからナショナルチームに入って海外の試合に出場していて、私は高校3年生の時にナショナルチームに入れてもらいました。高校は県立新井高校で、最高はインターハイと国体で3位ですね。
――やはりアスリートとしてオリンピックを目指していましたか?
高校時代に全国大会で1位、2位を争っていた山元豪さんはオリンピックに出ましたし、同世代でも3人ぐらいはオリンピックに出場しています。私もオリンピックやワールドカップとかでも、今行けば世界と戦えるんじゃないかっていう時期はありましたね。ただ、その時は日本代表からは外れていたので。ずっと在籍していたナショナルチームから外れたときに、当時の自分に足りない部分を改めて見直してそこからまた力がついたと思います。その時にワールドカップにまた挑戦出来ればと思うんですけど、タイミングがあまり良くなかったですね。
オリンピックはソチオリンピックが終わってから意識し始めました。平昌ではナショナルチームのメンバーにはいたんですけど、ランキング的には僕は8番目ぐらいでしたので、そんなに惜しくもなかったですよ。チャンスはありましたが、やはり、まだ力が足りませんでした。
ワールドカップは、オーストリア、ドイツ、スロベニア、フィンランド、イタリア、ロシアなど沢山の国々を周りました。長い遠征は1か月以上です。食事はそれぞれの国のものを食べました。ワールドカップでの最高順位は17位です。ノルウェー、ドイツ、オーストリアなどの海外の選手とは今もSNSで繋がっています。すごい財産です。。
レジェンド葛西選手でも怖い?
――ベテラン選手でもジャンプの恐怖感はあるのでしょうか。
本当に最初だけだと思うんですよね。そこからは少なからず、みんな恐怖心を持ちながらやっていると思います。最高で130メートル以上を試合で飛んだことがあります。気持ちいいですね。試合という緊張する状況の中で自分のベストなジャンプが飛べたときは本当に最高な気分です。
――なぜ妙高市へのUターンを決意したのですか?
2022年3月に選手を引退しました。選手をまだやりやいという思いはありましたけど、まずオリンピックに出るという目標があって、北京がダメで、次のオリンピックを考えたときに厳しいなと思ったんです。次のステージに進みたいと思いました。ずっと競技をやってきたので、すぐに仕事は決めていませんでしたが、地元に関わる仕事があると紹介されて、昨年5月に妙高ツーリズムマネジメントに入りました。
今は妙高市の強みである観光分野についてや、ふるさと納税に関わる仕事もしています。この仕事に関わることで、改めて自分の育った場所を知ることができて地元のいい部分を再確認できました。
「妙高は四季がはっきりしていて綺麗」
――地元妙高市の好きな部分は?
自然資源は豊かですよね。ヨーロッパの田舎に似た感じがあると思います。また、妙高は四季がはっきりしていて綺麗ですし、季節に合わせた過ごし方ができるのでいいと思います。季節を感じながら生活できるのはすごいなと思います。ふかふかのパウダースノーで雄大な妙高産を眺めながらスキーをする瞬間は格別です。新幹線駅や高速道路も整備されていて、首都圏からも通いやすく交通の便もいいと思います。
故郷・妙高に戻ってきた曽根原さん。「世界を周ってきた経験を妙高でいかしたい」と話す若者に今後も注目していきたい。
(文・撮影 梅川康輝)