【連載小説】「シェアハウスの幽霊」第3回 早川阿栗・作
康太が母に話すべきことはほとんどない。離婚に関しては事後報告の形で済ませてあった。母に対して、申し訳ない、という気持ちは今さら抱かない。ただ、五年前に亡くなった父の遺影が飾られた仏間で手を合わせたとき、胸の鼓動が少しだけ速くなった。
家でも特にやることがない。仕事を探そうという思いにならないというよりも、東京と新潟、どちらで暮らしていくのか、少し先の未来も想像できない。用事を作ってどこかへ出かける予定もその気力もない。
まだ母が目覚めないうちに起きてしまう。すぐ近くの川岸へ出て、流れに逆らうように歩く。対岸は見えるのに、細かいところがはっきりしない。それは早朝の気温や空気の湿り具合とはおそらく関係がないはずだ。
幼いときから見慣れた川はゆったりしている。新潟を離れたあと、流れの速い河川を見ると落ち着かなくなった。狼狽するわけではないが、長く直視できない。大きな川になるほど、荒れている水面の様子に言いようのない不安感が募ってきた。信濃川でも水流が激しいときもあったはずだが、植えつけられた穏やかなイメージは覆されない。
川沿いを歩きながら、ピンキーとの再会、そこに津森朔美も加わってからのことを何度となく思い返す。
ピンキーと二人きりのときは照れ臭さを吹き飛ばしてくれる軽妙な空気があった。朔美が現れると、地元に戻ってきた、という現実を突きつけられたような気がした。その場では具体的に認識できていなかったが、数日経ってから反芻するたびに実感は強くなっていった。
三十代半ばとなり、共にバツイチとして地元で朔美と再会した。セミロングの髪は、過去の両極端なスタイルのちょうど中間のようだ。そんな印象があるからか、見知った関係とも初対面の相手ともつかない、温度の違う緊張感を並行して強いられている感覚があった。朔美の離婚話に同情や憐憫の思いがわかなかった。少なくとも、同じ境遇だという共感が生まれなかった。
同級生だった当時や大学時代の数少ない機会での朔美の印象が入り混じる。十年以上も時を経て再会した先日のイメージはかつてと地続きのようでいて、うまく結びつかないままだ。
小学生のころ、津森朔美はクラスメートからタモリというあだ名でからかわれていた。派生して、グラサン、と呼ばれることもあった。
さまざまな飛躍した呼び名で遊ぶ程度に留まり、それ以上のいじめやいじりの類に発展することはなかった。朔美のからりとした性格のおかげもあるだろう。本心はわからないにしても、受け入れているような様子はうかがえた。実際、文化祭での出し物では、サングラス姿の朔美がマイクを持って現れた。会場はざわめき、クラスメートは爆笑した。
中学では誰もタモリ関連の呼び名を口にしなくなった。当たりのいい性分はそのままながら、朔美が人前で笑わせるようなこともなかった。美術部に入り、英語の時間だけは積極的に発言する生徒だった。
散歩から戻ると母がカスピ海ヨーグルトの仕込みをしていた。
「どうだった?」
何を尋ねられたのかわからないが、康太は、ああ、と応える。それ以上のやり取りはない。母は近所の住人や親戚などの噂話を一方的にしゃべる。どれもかつて聞いたことがあることのくり返しだ。康太は毎朝、受動的に出されるまま、フルーツ入りのヨーグルトを食べている。おかげで便通はかつてないほどよくなった。
母は近くのコーヒースタンドで働いている。父の死後、裁判所の仕事を辞めた。しばらくゆっくりするのかと思いきや、すぐにパート先を探してきた。
店からもらってきたベーシックブレンドを母が淹れてくれる。それを飲みながら、康太は眠気を感じる。ちぐはぐだ、と思うものの、母が家にいる間はまだ眠りたくなかった。
きゅうきゅうという音で目が覚める。結局、母が出かけたあと、リビングでうたた寝をしていた。裏庭で小さな生き物の鳴き声みたいな音が鳴る。生ごみを処理するコンポスターから聞こえているらしい。どういう仕組みで発せられる音なのかもわからないし、まともに本体を見たこともない。帰省するたび、一度は驚いてしまう。姿の見えない生き物がさみしそうに鳴く。康太はそれが家の中に入ってこないことを願いながら、再び短い眠りに落ちた。(続く)
早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。
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