【連載小説】「シェアハウスの幽霊」第6回 早川阿栗・作

 

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第6回

新潟市古町通り

 

戻ってきたピンキーが勢いよく腰を下ろした。その衝撃にグラス内で濃度の高いアルコールがぬらりと揺らいだ。

ふううう。ピンキーは長く息を吐き出す。冷たくなったおしぼりを額に当て、細かく叩きつける。長い髪の毛は後ろで一つに結ばれていた。雰囲気はよりワイルドさを増す。オールバックになると根元の白さが目立った。ピンキーは丁寧な動きでコップを手に取り、ゆっくりと水を飲んだ。頬の赤みはだいぶ薄まったが、首周りにはまだら模様が浮かんでいた。

一息ついたあと、ピンキーは入居話を一方的に保留状態とした上で、住居人を集めるためのアイデアを求めてきた。待ち構えていたように朔美が切り出す。

「そのシェアハウスは何ていう名前なの?」
「フルマチテラス」

少し間が空く。舌打ちめいた音を鳴らしたのがピンキーなのか朔美なのか、それも意図的なのかどうか、康太にはわからなかった。

「古町のテラスハウス、みたいなこと?」
「そう」

ピンキーがぶっきらぼうに答える。康太の右まぶたの端がかすかに短く震えた。瞬間的な感情を一旦飲み込む。胸の奥から言葉が漏れたとしたら、何かしらを否定してしまいそうだった。

「それ、変えよう、コミンカコミューンに」

朔美が毅然と言い放つ。音楽が切り替わるタイミングなのか、店内は静まり返っていた。

なにそれ。略して、コミコミ。なにそれ。同じ反応をくり返すピンキーの声が上ずり、三人の周辺で残響する。それをかき消すように三線の音が新たに再生される。ここが新潟なのか東京なのか、あるいは沖縄にいるのか、短い間、康太は錯乱する。少なくとも、いくつかのはっきりとしたイメージが入り交じる。それは決して酔いが回っているせいではない。

勢いに乗った朔美は半ば冗談とも思えるような、突飛なアイデアを挙げていく。最初は緊張気味に黙って聞いていたピンキーも、一つひとつに楽しそうな反応を見せる。

個室の仕切りを本当にふすまにする。そのふすま自体に防音防犯機能を備え付ける。共有スペースに囲炉裏を作る。朝市や夕市を敷地内で開く。さらには年に二度の餅つき大会、あとは月一のたこ焼きパーティー。ハロウィンパーティーは近隣の子供たちを呼んで、地域交流の一環としてマストでやるべき。

独創的な提案が次々と出てくる。内容こそ違うものの、小学生の生徒会長選挙の公約を聞いているような思いもした。そういえば、ピンキーって生徒会長だったよな、と康太がつぶやく。思考の流れが見えないピンキーはぐいと目を見開く。

「何よ、その突然のぶっこみ。今シェアハウスの話してたよね、ていうか、気づいたけど、俺、中学のときも生徒会長だったっぽい」

朔美が弾けたように笑う。それからピンキー、康太と続いた。笑い声は渦となり、しばらく止まなかった。三人とも笑うことを止めなかった。

でいごで飲み続け、会計を終えたのは午前零時近くだった。この日は二件目に移ることなく、解散となった。

古町通りはすでにひと気がなかった。最後に店から出てきたピンキーが頭を下げる。シャツに描かれた胸元の赤い花のすぐ脇に醤油か何かの染みがついていた。

「康ちゃんちん、ツモリちゃん、まじで頼みます、コミコミのこと」

まだ正式名ではない新生シェアハウスの略称を強調するように、ゆっくりと大きく発声した。大学時代、ピンキーと呼んでくれ、と言い出したときの自嘲的な表情や声のトーンを康太は思い出す。だが、今回は泣きそうにも見えた。

「どうぞ手伝ってやってください」

言い方も顔つきも真剣そのものだった。朔美も康太も即答せず、少し考えさせてほしい、とそろって言う。管理人っぽいこと、やってもらえたらすごい助かる、とピンキーが改めて頭を下げる。康太はきっぱりと断ることができない。

ピンキーが手を差し出した。顔の高さまで左手を上げ、指切りな、とつぶやく。

「運命論っぽい言い方したくないけど、これはもうそういう流れなんだって。そういう直感、俺、結構、信じてるんだわ」

小指が絡むことはなく、それぞれの左手の各所が不揃いにぶつかった。もはやどちらも笑わなかった。康太の次は朔美の番だ。身長差のある二人が向かい合い、上下に手を振る。それは手話初心者のレッスンのようにも見えた。(続く)

 

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早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。
                  

 

 

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