【2023フロントランナーに聴く】第2回 教育と6次産業の視点からまちづくりに挑戦する能水商店(新潟県糸魚川市)松本将史代表取締役
全国的にも数少ない水産・海洋系高校が新潟県糸魚川市にある。県立海洋高校(旧能生水産高校)である。創立120年を超えるその海洋高校で16年間教鞭をとり、その後、株式会社能水商店(新潟県糸魚川市)を起業したのが松本将史(まさふみ)代表取締役だ。かつては産業廃棄物として処分されていた新潟県上越市や糸魚川市に遡上する鮭から魚醤を造ることに成功し、安定した教員を辞めて起業したのだ。その心意気には敬服するが、製造業者として鮭の増殖事業にも参画して6次産業化を完成させたいという熱意がそうさせたと推測する。
文部科学省では、専門高校などと成長産業化に向けた革新を図る産業界などが一体となり、地域の持続的な成長を牽引し、最先端の職業人材育成を推進し、成果モデルを示すことで、全国各地で地域特性を踏まえた取り組みを加速化させることを目的とした「マイスター・ハイスクール事業」を令和3年度より開始している。海洋高校はこの事業の全国14の指定校の一つに採択され、松本代表取締役は「マイスターハイスクールCEO」として海洋高校に再び赴任して事業のマネジメントをしている。現在の専門高校教育の課題などを、教育者と経営者の両面から松本代表取締役に聞いた。
――水産系の高校は全国的にも減っているのですか?
全国では、教科「水産」を学べる学校は46校、そのなかで単科の水産・海洋系高校は22校です。このうち、県庁所在地から通学できる地域に立地していない学校はほとんど定員割れしています。全国の高校生に占める水産・海洋系の高校や学科、コースに所属する生徒の割合も減少しています。単純に少子化のせいにできない要素もあるわけで、私たちはこの事実を受け止めて、教育内容・方法の検討やその魅力の発信をする必要があります。
――鮭は生まれた川に戻ってきますが、産卵するためにあまり美味しくなくなるそうですね。
生物の生理現象を「ために」という表現で説明したくないですが、分かりやすくするために使用します。産卵期が近づくと、稚魚の生存率を高めるために卵にたっぷり栄養を蓄える必要があります。つまり筋子からイクラへの変化です。この間、親魚の体脂肪はイクラへ移行します。一方、雄も体脂肪を元気な精子をつくるために精巣に移行させます。秋鮭のイクラや白子に脂があって美味しいのはこのためです。そして、産卵直前の川に遡上する頃になると、海水から真水への適応や急流への抗いによって強いストレスを受け、脂質由来の加齢臭に似た化学構造の臭気成分が体表から生じます。海にいた頃と比べ、脂がなく生臭い、商品価値のほとんどない鮭となってしまうのです。これらの川に遡上した鮭を有効利用するために鮭魚醤「最後の一滴」を開発しました。
――魚醤開発の経緯について教えてください。
当初はすり身として加工し、練り製品として利用しようと考えましたが、川に遡上した鮭特有の生臭い臭気が障壁となりました。いろいろ策を考えていたとき、新潟県の水産海洋研究所と農業総合試験所食品研究センターの醤油麹を用いた魚醤製造技術開発の報告書が目に止まりました。その後、この技術をベースに生徒の研究活動として発酵条件の検討をして、2年後に完成に至りました。
完成した後は、マーケティングのステージに入ります。ここは、定員割れが常態化していた海洋高校の生徒募集を兼ねて、様々なメディアに取り上げていただくことを続けました。地域の方々の応援もあって、少しずつ商品認知を広げていくことができました。私一人が魚醤を造っても誰も見向きしませんが、水産を学ぶ高校生が水産資源の有効利用を目指して実習に取り組む姿が、マイナーな調味料をここまで広めることを可能にしたのだと思います。
――そして、起業ですね。教員を辞めるリスクはありませんでしたか?
海洋高校生による「最後の一滴」の製造販売事業によって、海洋高校の魅力を発信して生徒募集を強化し、学校の存続を図ることを目的に、糸魚川市と海洋高校同窓会である一般社団法人能水会、海洋高校が連携する「糸魚川市水産資源活用産学官連携事業」が始まったのが2015年4月です。糸魚川市から約3,000万円の補助金をいただいて、校外に魚醤生産施設を整備し、海洋高校生による水産加工ビジネスが始まりました。同時に、通学圏外からの女子生徒の受け入れを見越し、さらに糸魚川市から約3,000万円の補助金をいただいて教員住宅を改装して女子寮を設置しました。これだけの支援を地元自治体から得た県立高校は全国的にも数えるほどです。常に地域の期待に応える学校運営を意識しないといけないと思います。
さて、連携事業が始まって間もなくして、日本テレビの人気番組「満天☆青空レストラン」で紹介されたことをきっかけに販売量が増えていきました。当時はクラブ活動として生徒と製造販売をしていたので、生産は平日の放課後、販売は土日に、といったサイクルで回していました。したがって、平日の日中は外部からの電話にも応対できないという事業所です。もちろん、このような体制ではこれ以上の事業発展はありませんし、メーカーとして責任ある商品供給をしていくこともできません。このような状況から、ここまでの展開を主導してきた私が当然責任を取るべきとの考えから2018年4月の起業に至りました。目の前のことに無邪気に取り組んできた結果で、「最後の一滴」を開発した当初はこんなことになるとは思ってもいなかったですね。
起業後は、鮭の増殖事業に取り組む地元の能生内水面漁業協同組合の組合員として、鮭が川に遡上するシーズンは捕獲に行きます。昨年、道の駅「マリンドリーム能生」に直営店をオープンしましたので、鮭の捕獲から魚醤の販売まで取り組む6次産業化が完成しました。
――鮭の放流事業に取り組む方の高齢化が進んでいるようですね。
「最後の一滴」の原料である鮭は、各地の内水面漁業協同組合や鮭漁業生産組合などが取り組む増殖事業によってその資源が維持されています。組合には、鮭の親魚を捕獲し、人工授精を経て稚魚を育て放流する義務があり、県は海面漁業によって漁獲された鮭の売上高の一部を義務放流分の稚魚買い上げ費用に充てます。組合は、鮭稚魚買い上げ代や春から夏にかけての遊魚券販売を収入として経営されています。
ここ6年間ほど、放流数を維持しても川に回帰する鮭の数が減る傾向が続き、組合の経営環境が悪化しています。また、組合員の高齢化により、近い将来鮭の増殖事業の維持が困難になることが予想されます。「最後の一滴」の原料確保の点から、組合員となっている弊社の若い社員が増殖事業のノウハウを学び、早い段階で持続可能な状態をつくらないといけません。
鮭の人工授精から稚魚育成、放流までは、多くの人の手が必要です。いくら若手が増殖事業に関わるとはいえ、絶対的に少ない人数で事業ができるようにしないといけません。昨年から、水産増養殖を学ぶ海洋高校のコースと連携して、能生川支流で「発眼卵放流」の実証試験を始めています。この方法は、稚魚の目が見え始める卵を川底の砂利の中に埋めてしまうというものです。人工的に管理された孵化場でなく、自然環境に孵化から降海までの時期を委ねることで、川への回帰率が高まることが期待されています。そして何よりも、稚魚育成後半にかかるコストを無くすことができます。「最後の一滴」から始まった海洋高校の実践的な学習は、人口減少が進むまちの維持というテーマにも及んでいます。
――マイスター・ハイスクール事業によって海洋高校はどう変わりますか?
現在事業2年目が終わろうとしていますが、各コースの専門性を活かした探究・実践的な学習が立ち上がり、職業現場で利用されるICTを用いた実習や糸魚川市の観光誘客に貢献できるマリンスポーツイベント企画、特産品化を目指す魚種の養殖等、学校内の職業教育で完結するのではなく、その成果を地域振興につなげようとする試みをしています。もちろん、事業目的の主眼は生徒の資質・能力を伸ばすことですので、通知表では表現されない「リテラシー(思考力)」や「コンピテンシー(行動力)」といった、教科学力外の力を客観的に測定する業者テストを導入して、海洋高校ならではの探究・実践的な学習の効果を捉えようとしています。
先日、事業の中間成果発表会で、5人との生徒とパネルディスカッションをしました。そのなかで、探究・実践的な学習時間が少なく技術習得の実感が持てない、もっと主体的に学習に関わりたい、といった声が多く上がりました。学問体系に基づく系統学習と探究・実践的な学習の時間配分等について先生と生徒が対話し、最適なカリキュラムやその運用方法を決めていく環境づくりをしたいと思います。
――マイスターと呼ばれる手に職をつけた高校生が生まれるといいですね。
日本の全日制の専門高校では本家ドイツで言うところのマイスター養成はできません。英国数といった共通科目の授業時間と、「手に職」レベルに到達するための専門科目の授業・実習時間を週5日の中に収めることが無理だからです。彼の地の専門高校の生徒は、共通科目を学ぶために週1から1.5日学校に通い、残りの3.5から4日間を地元企業に雇用されてOJTで技術習得をしていきます。その職業に必要な資格取得学習も地元企業にいる時間を充てます。全高校生の7割がこのカリキュラムで高校を卒業するというのですから、普通科と総合学科に所属する生徒が全高校生の8割という日本とはだいぶ様子が違いますね。
――最後に株式会社能水商店のこれからは?
糸魚川市や地元企業との連携を図りながら学校を側面から支援する弊社の事業は、他の地域では行われていないという意味で壮大な実験なのかもしれません。基本的には、メーカー事業としての業務が大半を占めており、ここが業績不振に陥れば海洋高校への支援もままならなくなります。私たちは、このような綱渡り状態の小規模事業者でもあります。しかし、企業は常に変化する環境に対応しながら経営することを求められており、私たちのミッションである海洋高校の職業教育支援と地域水産資源の活用という2本柱をしっかり維持できる経営をしていきます。地方においては、地域の活力に与える学校の影響は大きいと思います。糸魚川市能生地域に生まれた企業として、海洋高校の存立を通じたまちづくりの一端を担っていきたいと考えています。
(聞き手・梅川康輝)
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