【好評連載】「シェアハウスの幽霊」第8回 早川阿栗・作
第8回
真夏を過ぎても鳥屋野潟の白鳥は北へ帰らない。羽に怪我をしているせいで飛び立つこともできず、そのまま水辺に棲みついた。ローカルニュースで何度か扱われてきたが、十月に入ってから、続報が届かない。
そろそろ冬を過ごす白鳥たちがやって来る時期だ。居残りの鳥はどうなってしまうのか。まだどこかで生きているとして、新しい鳥たちとうまくやっていけるのか。
状況説明の合間にも母が不安な思いを口にする。康太は新潟に戻ってきてから、そんなニュースを見聞きした記憶がなかった。
「今度、見に行って確かめてきてよ、新しい一群が来る前に」
買い物でも頼むような言い方だった。それでもやきもきとした様子は伝わった。少し前から遠くで鳴っていたヘリコプターの音が近づいてくる。東京では頻度は高かったが、新潟で、しかもまだ午前中の早い時間から聞こえるなんてめずらしい。
「ヒトミさんと、まだやり取りあるのかい?」
ふいに母が別れた妻の名前を出す。康太は聞こえていない振りをするが、それもまた虚しい。肯定にも否定にもどちらとも取れるような角度で、二度、首を振った。
その呼び名、三文字の音を耳にしたのはどれくらいぶりだろうか。離婚届にサインしたとき、そのあとワインを飲んだときにも名前を呼ばなかった。結婚生活が始まり、特に不穏な雰囲気が漂っていないころでさえ、当たり前になっていた。それが母から発せられることで、一瞬、頭が働かなくなる。
母は仁美と何度か会ったことがある。結婚式を挙げなかったが、両家で挨拶するため、わざわざ上京してもらった。まず妻と一緒に新宿のホテルのラウンジでお茶を飲んだ。コーヒーが一杯千円以上した。そんなものをこれまで飲んだことがなかった。
仁美も母も比較的背が高い。二人で向き合い、同じ目線で会話をしている光景は新鮮だった。そのときのことを思い返すと、同じような気分がよみがえる。
結婚は父の死からおよそ三年後だった。母は特に反対もしなかった。挙式することになっていたならば、反応はいくらか違ったかもしれない。
夕方には妻の家族とも引き合わせる。新宿でしゃぶしゃぶを食べて、タクシーで高円寺に移動する。会社兼自宅や康太と仁美が暮らすマンションをあわただしく回った。
そのあと一家が懇意にしている飲み屋へ入り、貸し切りの状態で時間を過ごした。滅多にないことだが母もよく飲んだ。妻やその家族から次々とお酌されても、一度も断らなかった。時間をかけつつグラスを空にする。酔っぱらった様子もまるで見せなかった。
新宿のホテルまで送り届けると、母はトイレに駆け込んだ。長らく吐きまくっていた。ドア越しに苦しそうな嗚咽の声が聞こえてくる。ノックをしても、言葉による応答の代わりに吐き出す音が響いた。部屋の隅にある丸椅子に座ったまま、康太は待ち続けた。
青白い顔で母がようやく戻って来たときには、すでに高円寺まで戻る電車もなくなっていた。
「父さんの分まで飲もうと思って」
母らしくなく、劇的な言い回しだった。無謀だし、それ以上に感傷的すぎると康太は思った。それでも背中をさすりながら、感謝の気持ちを伝えるしかなかった。
そもそも結婚相手の家族を紹介すること自体が人生に何回もあるものではない。そのうえ会合のあとで母が酔っぱらって吐くこと、それを介抱していることが不思議でならなかった。こんな体験はもう二度とないだろう。二つの家族が結ばれる始まりが記憶に残るようなものになるなんて、案外うまくいくかもしれないな、と楽観的な気持ちを抱いたことを覚えている。あとから笑い話としてくり返される類のものになればいい、とも思った。
もし父が生きていたら、吐くのは母以外だった気がする。それが父と自分のどちらかはわからないが、それに関してもまた奇妙な楽観さを抱いていただろうか。
康太は新宿のカプセルホテルで一夜を過ごした。翌朝、コーヒーショップでモーニングを食べた。母はけろりとして何ともない様子だった。康太こそ、まだ胃の奥のうねりが治まっていなかった。
中央線に乗り、東京駅まで送った。新潟行きのときに乗り込んだ母は窓越しに頭を下げた。発車するまで時間がかかり、手持ち無沙汰になった康太は大げさに手を振った。
あの夜以来、母がアルコールを口にするところを見たことがない。(続く)
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早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。