【好評連載】「シェアハウスの幽霊」第9回 早川阿栗・作

上古町商店街(新潟市中央区)

 

次回 →

 

第9回

 

これから仕事をどうするのか、いつ東京へ戻るのか、誰も聞いてこない。母は母で内心はいろいろ思うところ、言いたいこともあるのだろうが、何も口にしない。

そろそろ決めなくては、と康太は思う。果たして自分はどの方角を向いているのだろうか。そもそも前進しようとする意志があるのだろうか。

そんな思考の移ろいさえも、どこかぼんやりとしている。実家で一人きり、多くの時間を過ごしていると、社会からいよいよ遠く離れてしまったように感じられる。現実の風景として目にしたわけではないものの、信濃川の水域に浮かぶ小島のイメージが浮かび、ふわりと消えた。

朔美と二人きりで会おうと思った。東京から戻り、新潟での生活をどのように感じているのか、聞いてみたかった。朔美がこのまま地元で暮らすつもりだとして、どのような感情や気持ちの変化を経てきたのか、その過程の一部でいいから知りたくなった。

その際、自らのはっきりとしない思いも言葉にしてみよう。何よりもピンキーと指切りまでしたシェアハウスについてどう捉えているのか、その話し合いも必要だ。

川岸町の自宅を出て、陸上競技場近辺まで歩いた。そこから白山神社の敷地内を通り抜ける。長らく残っていた夏の余韻も消え去り、ようやく秋らしい気候が続くようになった。それでも過ごしやすい時期はあまりにも短い。新潟の厳しい冬のことを思うと今の時点からもう気が重くなる。

勢いで朔美を誘うメッセージを打ち込んだものの、いざ送信する段階になって迷いが生まれた。逡巡ののち、バックスペースを連打してすべて消してしまった。

歩き回れば勇気が出るというわけではないが、外の空気を吸って気分を変えたかった。上古町の商店街を進む。午後の早い時間でも人の姿はまばらだ。

子供のころ、この道や本町通りをよく自転車で走った。どのルートを選ぶかは気分次第だった。何年も前から「古町なんか前はずっと栄えてたのに」という母の声を聞くようになった。高校卒業まで新潟で過ごした康太にとって、ぴかぴかの繁華街、という印象を抱いたことはない。

町の雰囲気は好ましかった。古い外観を生かした店がいくつかあり、若者向けの営業内容とのギャップが新鮮だった。記憶にも残る昔からの店舗には郷愁を感じる。そうした手触りの違う感覚を味わいながら歩く。

ピンキーのシェアハウスはさらに奥へ進んだ、古町モールの9か10のあたりにあるらしい。昔も今も、その方面まで赴いたことはなかった。

ゆっくりと北上している間にうっすら汗をかくほど身体が温まった。万代橋やその先の新潟駅につながる大通りの手前まで到達する。左側に本屋があった。そこでよく参考書や漫画を買っていた。はじめて海外の小説を手にしたのもこの店だ。なつかしさから思わず足を踏み入れる。店内をぶらつくうち、旅行のガイドブックコーナーに目を留めた。

ふとした思いつきで新潟のガイドを買うことにした。ムック形式の本は、るるぶとまっぷるの二種類があり、迷った末に両方ともレジに持っていく。さらに鎌倉のガイドも一冊だけ選んだ。時間ができたらゆっくりと江ノ電にでも乗って周辺を回ろう、とかつて仁美と話していた。結局、それが叶うことはなかった。

近くの喫茶店に入った。焙煎した豆の香りが漂う。ざわつきも程よく、快適に過ごすことができそうだ。店内は奥行きがあり、テーブル間の距離が充分に取られていた。

ブレンドコーヒーを頼み、ガイド本を手に取る。「新潟」という文字が表紙に大きく記され、その脇に「佐渡」と小さく添えられている。地元の観光案内本を手に取るなんて、変な感じがした。二冊を比較するように読み進めていくと、それぞれに佐渡のほか上中越地方まで扱っている。

母の実家は長岡にあり、その周辺はまだ親しみ深かった。お盆や正月のタイミングでよく訪れた。だが、新潟県はあまりに縦長だ。中越よりも南側の地方や、佐渡のあたりにはまるで土地勘がない。半分は本来の観光案内として、名前だけは知っている土地の紹介を楽しむ。親近感があるのに、なんだか遠い。この実感は新潟県のあるあるかもしれない、と思った。

新潟市内の観光スポットも特集されている。古町の案内記事もあって、ここに今、自分がいるのだ、という奇妙な感覚、それとコーヒーのカフェインによるかすかな酩酊が混濁する。(続く)

 

【シェアハウスの幽霊 各話一覧

第1回第2回第3回第4回第5回

第6回第7回第8回

 


 

早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。

こんな記事も

 

── にいがた経済新聞アプリ 配信中 ──

にいがた経済新聞は、気になった記事を登録できるお気に入り機能や、速報などの重要な記事を見逃さないプッシュ通知機能がついた専用アプリでもご覧いただけます。 読者の皆様により快適にご利用いただけるよう、今後も随時改善を行っていく予定です。

↓アプリのダウンロードは下のリンクから!↓