長岡恢復の恩人 顕彰法要執り行われる 26日 新潟県長岡市栄凉寺
新潟県長岡市の東神田にある栄凉寺では26日、河井継之助、小林虎三郎と並んで、長岡の維新三傑の一人として数えられる三島億二郎の第132回法要が厳かに行われ、23人が参列した。主催は、三島億二郎顕彰会(牧野忠昌代表)である。同会による顕彰法要は今年で4回目となる。
三島億二郎は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した人物で、北越戊辰戦争後の荒廃した長岡の復興を担った中心的人物。今の第四北越銀行の前身にあたる「第六十九銀行」や、「長岡洋学校」(現在の県立長岡高等高校)、「長岡会社病院」(現在の長岡赤十字病院)の設立などに関わった。晩年には北海道開拓に情熱を燃やし、「北越植民社」を興すとともに、老身でありながら、6度も北海道に渡った。
法要の後は、元ホクギン経済研究所副所長で、現在、第四北越ミュージアム開設担当者の井辺吉伸さんによる講演が行われた。井辺さんは講演のなかで、三島の生き方が戊辰戦争の前後でがらっと変わったことについて触れ、その転換点を、小千谷で河井が(西軍の)山道軍軍監であった岩村精一郎に足蹴にされた瞬間に求める。そのうえで、三島を「天から与えられた使命を全うした人」と評価した。
新潟県長岡市内在住で、三島の兄にあたる家系から参加した伊丹耿一(こういち)さん(79歳)は、「(長岡市民に)もっと三島のことを取り上げてもらいたいと思っていたが、自分からは言えないでいた。有志の方に取り上げてもらって感謝している」と喜びを表した。長岡藩牧野家第17代当主で、同顕彰会の牧野忠昌代表(81歳)は、「こうして毎年顕彰させていただいている。今まで三島さんが置き去りにされてきた。三島さんが何もしてこなかったと捉えられがちだった」とし、「今の時代の基盤を作ってしまったらそれで終わってしまい、市民にも行政にも三島さんの業績を評価する意識がなかった。このように三島さんを懸賞していくことから始めようとすることは、非常に良いことだ」とコメントした。
なお、同会では三島億二郎の業績を若い世代に正しく伝えようと、年内『三島億二郎物語』の刊行を目指している。法要後は、編集委員会による打ち合わせが行われ、報告や意見交換などが行われた。
(文・撮影 湯本泰隆)