【好評連載】「シェアハウスの幽霊」第16回 早川阿栗・作

新潟市中央区

 

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第16回

 

朔美のメールの中身を理解して飲み込むため、一度、通りを外れて公園のベンチにでも座りたかった。周辺をさまよいながら、福心、福心、と康太は浪曲師の名前をくり返す。一歩ごと、一言ごとに頭が混乱してくる。

コンビニエンスストアを見つけて駐車場の隅に立つ。メッセージを丁寧に読み返す。

朔美の元夫がやって来ることになった。故郷の山形で凱旋公演を終えたあと、新潟市内のイベントスペースで舞台に立つ予定らしい。朔美が三味線を習っていた曲師の先生も一緒だ。公演日は約一週間後に迫っていた。かなり前から決まっていたものの、昨晩になって連絡があった。朔美はイベントの存在にまるで気づいていなかった。

ひたきという名前の娘も訪れる。せっかくの機会ということで、朔美の実家で数日過ごせることになった。新潟には一週間ほど滞在する。

喜びはもちろんある。ただ、東京から、かつての暮らしから、せっかく離れたというのに、すぐ近くまで別れた夫がやって来て、独演会を開くことにどこか身構える気持ちもある。

文面から朔美の揺れる心や短い息遣いが伝わってくる。康太は落ち着かず、コンビニに入り、マシンでコーヒーを淹れた。駐車場の端でそれを飲もうとしたが、熱さに舌がびりりと痺れて痛い。カップを持つ手もじんじんとしてくる。白いプラスチックの蓋からコーヒーがわずかにこぼれている。味も匂いもよくわからない。こんなことなら母の店でテイクアウトしてくればよかった、という後悔もまた遅い。

その日のうちにピンキーから連絡があって、ひたき滞在中の一晩をシェアハウスで一緒に過ごす、と聞いた。月曜日に福心は新潟入りする。公演を終えて翌日には東京へ戻るが、娘は残していく。朔美の両親にとっても孫との幸福な時間が設けられる。

朔美とひたきには、火曜か水曜の夜に管理人用の離れで泊まってもらう。そして、ここに康太とピンキーも同席する、という計画だった。

朔美はピンキーにも混乱した思いを送信していた。いくつかのやり取りを経て、このような話になった。古民家シェアハウス、通称「コミコミ」の管理人になる意志も伝えたこともあり、その決起集会やらミーティングやら、その上、試しに専用の離れで過ごすこともこの機会にまとめてやってみよう、という趣旨で集まる。

「まあ、俺もツモリの娘ちゃんに会ってみたいし、ツモリはツモリでさ、フクシンだっけ、その浪曲師襲来のショックからもさ、ちょっとは立ち直れるかな、というか、まあ、せっかくだから楽しく過ごせればいいじゃん、っていう感じだね。管理人になる、という申し出があったのもありがたいし」

電話は夕食中にかかってきた。ピンキーからあれこれ事後的に報告される。もちろん康太はほかに用事もなかった。半ば確定された状態のスケジュールを受け入れる以外の選択肢もないし、異を唱えるつもりもない。

管理人になる意志を朔美が伝えたのは前日らしい。康太と別れたあと、伯母との会食の前後に連絡したのだろう。

いずれにしても話は急速に展開し始めていた。康太自身にも関わりのあることとして、状況が進んでいく。

実際に自分がピンキーや朔美、それに娘も交えてシェアハウスで過ごすことに戸惑いもある。その様子もまるで想像できない。ただ、離婚した南家福心という浪曲師の存在が、かつての同級生たちとの結びつきを強めるきっかけになる。何かしらの運命的な流れを感じたのも確かだった。

夕食が並ぶリビングから離れ、自室でピンキーと話をしていた。電話のあと、食事を再開する。母は特に文句を言わない。むしろ友人から連絡があったこと、それ自体に驚いているようだ。

小皿に取り分けたおからをかき込む。昔はあまり好んで食べなかった。母のおからには油で焦がした葱が入っている。ご飯ともよく合う。実家に戻ってから好物の一つに変わった。康太の豪快な食べっぷりもあってか、食卓に並ぶ頻度は増えた。

食後、自分でコーヒーを淹れる。母が黙ったまま、康太の手つきをじっと見ている。買ったばかりのコスタリカのマイルドな香りがゆっくりと広がっていく。コスタリカという国がどこにあるのか、康太はうまく思い出せない。

 

(続く)

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早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞

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