【独自】今年生誕100周年の「狂気の建築家」と呼ばれた渡邊洋治氏の原点ともいえる、「斜めの家」が出身地の新潟県上越市に
かつて、「狂気の建築家」と呼ばれた新潟県出身の1人の建築家がいた。その名は渡邊洋治氏。享年61(1983年没)。
今年はちょうど渡邊氏の生誕100周年にあたり、最後に設計した建物である「斜めの家」(新潟県上越市・1976年建築)が話題となっている。
「異端の建築家」としても知られた渡邊氏は雪深い裏日本・新潟県上越市で生まれ、新潟県立高田工業高校(現上越総合技術高校)卒ながら、早稲田大学理工学部の助手から同大講師まで歴任した人物だ。
渡邊氏の代表作は、東京都新宿区の第3スカイビルで、1970年竣工の地上14階、地下1階建ての事務所と共同住宅で構成される建物だ。俗に「軍艦マンション」と呼ばれ、シルバーに塗られた外観、横置きされた給水塔、ユニット化された各室など軍艦をモチーフとした独特のデザインの建物である。
著作権の関係で読者に第3スカイビルの写真をお見せできないのが残念だが、今から50年前の建築物としては、かなり前衛的でトンがった格好いい建物である。これを称して、「狂気の建築家」と呼ばれたのだろう。
10年前に上越市在住の建築家・中野一敏さんら有志が、「斜めの家再生プロジェクト」を結成、「斜めの家」の見学会を実施してフェイスブックページで公開してきたほか、渡邊氏がどのような意図で「斜めの家」を設計したのかを探求してきた。
かつて渡邊氏は、「斜めの家」に関して知人に対して「潜水艦を作る」と話していたという。「斜めの家」は長さが横に18メートル程あり、銅板の外壁も合わせると、まさに潜水艦に見えなくもない。
中野さんは「冬になればこの辺は雪で覆われる。渡邊さんは、雪に沈む家を潜水艦に見立てたのではないか」と解説する。
渡邊氏が高校時代に通った高田は、江戸時代、「この下に高田あり」と高札がたてられたほどの豪雪地帯にある町である。雁木のように、町が雪に沈む事を前提に考えられた建築文化が残っている。渡邊氏の「潜水艦を作る」という言葉には、自身を育んできた環境が投影されているのではないかと中野さんは語っている。
また、「斜めの家」に階段ななく、スロープだけで2階まで行くことができるようになっている。中野さんは、「斜めの家再生プロジェクト」の活動の中で、渡邊氏が「斜めの家」を設計していた当時、渡邊氏の師匠とも言える現代建築の巨匠、ル・コルビュジエ(スイス人)の手がけた建物をインドに見学に行っている事を知った。そこで見た建物に影響を受けた可能性が高いと中野さんは語っている。インドに残るル・コルビュジエが作った行政庁舎と呼ばれる建物のスロープ棟が、斜めの家の外観とスロープの内観によく似ているようだ。
このように、当時の現代建築の潮流との関係も「斜めの家」の魅力になっている。中野さんによると、昨年イタリアの大学院生が「斜めの家」を見学するために訪れたという。彼女は、渡邊氏のファンであり、彼にル・コルビュジエが与えた影響も研究しているという。果たして、「斜めの家」以外に上越市に若いイタリア人女性を惹きつけるものがどれだけあるだろうか。
100周年の今年は、6月10日に講演会や見学会のほか、今後は宿泊体験などが計画されている。渡邊氏の建築作品や人生に興味を持つ人々にとっては、貴重な機会となるだろう。
100周年関係イベントのお問い合わせ先 naname023@gmail.com
(文・撮影 梅川康輝)