【好評連載】「シェアハウスの幽霊」第17回 早川阿栗・作

萬代橋とホテルオークラ

 

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第17回

 

ひたきは白いクマのぬいぐるみを抱きかかえ、手足を動かしながら話しかけている。ずっと手元から離さない。朔美が関屋浜で拾ってきたものなのだろう。そう推察するものの、康太は確かめない。代わりに名前を尋ねると、ちいちゃん、とひたきが教えてくれた。
「こうたくん、よろしくね」

やり取りを見ていた朔美が声色を変えて、甘ったるく舌足らずな口調で挨拶する。少し遅れ、ひたきがクマの腕を動かす。ピンキーとその息子の孝直が微笑ましそうに見合う。
「ぼく、うみのむこうから、やってきたよ」

クマのセリフに康太だけが笑った。

シェアハウスの離れに集まっていた。ピンキーや朔美の子供たちも交えて、たこ焼きパーティーが始まる。ピンキーは以前、キッチンカーのたこ焼き屋でバイトしていたことがあるらしい。

「生地はびしゃびしゃにしたほうがうまいんだけど、家で作るには火力足りないんだよな」

強力なガスバーナーが用意されていて、そこに鉄板を乗せる。準備や仕込みから、仕上げまですべて任せ切りだった。小学四年生の孝直はたこ焼き用ピックにやたらと興味を示す。朔美はそこに気を留めつつ、クマの声でひたきに話しかける。その器用さに感心しながらも康太はきょろきょろするばかりで、どうも座りが悪い。

朔美は別れた夫、南家福心について何も話さなかった。それでも前日に舞台を見に行っていた。康太はその辺の報告をメールで受けた。曲師の先生にも挨拶ができて、いくらかほっとしたらしい。

「もう、朝の練習に海まで行かなくていいかも、ってちょっと思えた、まあ、なんだかんだで行くんだろうね、きっと」

その一文に康太の心持ちも軽くなった。ただ、ピンキーにも話しているのだろうか、と気を揉んでしまう。もちろん、尋ねることはしない。実際、シェアハウスの一室で集まったところで、それに関する話題は出てこない。

朔美は管理人として、この離れに住むことになる。トイレや浴室、キッチンもついている。早くもこの空間に慣れているような印象だ。ひたきはあと数日で東京に戻り、一人きりになった朔美はこの場所で新しい生活を始める。

一通り、ソースとマヨネーズ、あるいはしょうが醤油などの味つけで食べたあと、「超おすすめ」を試すことになった。たこ焼きはオリーブオイルで食べるとうまい、白ワインにもよく合うのだ、とピンキーが得意げに主張する。
「粉とか卵とか、まあ、タコもわざわざ高価なやつを買わなくてもいいんだけど、オリーブオイルだけはガチのやつで。これはガチでうまいから、ガチ中のガチだから」

そう言いながら、ポルトガル産エキストラバージンオイルを手に取る。濃い緑色の瓶から注がれ、きらきら輝く黄色い液体がたこ焼きの上に広がる。

朔美が恐る恐る口に入れる。熱さによる衝撃をやり過ごしたあと、目を見開くように驚いた。ほんとだ、やばい、と声が上ずる。そうでしょうそうでしょうとも。ピンキーは嬉々としてさらにオイルをかける。朔美は二個目、三個目と手を伸ばす。ひたきまで気に入ってそればかり食べる。

「将来有望だね」

ピンキーがさらさらと笑う。ピックでたこ焼きを器用に回転させる。あらわになった生地には焦げ目がついている。焼けたものから引っかけて、テンポよく皿に移す。康太はその手際に目を奪われる。味つけが変わっているからか、たこ焼きばかり食べてもまるで飽きない。

酔っぱらったピンキーのテンションが上がっていく。銀だこよろしく「ピンだこ」と自称して、その名を連呼する。はしゃいだ声をあげながら、子供たちもピンダコピンダコと叫ぶ。ひたきと孝直はふくれた腹に両手を当てて爆笑し続ける。

夜遅くなり、パーティーも終わる。朔美とひたきを残して、ピンキー親子、そして康太も帰る。支度を終えようとするころ、ひたきが、わあ、と小さく声をあげた。
「ちいちゃんが、ゆうれいを見た、って」

クマの人形を抱えながらひたきがつぶやく。言葉の内容だけでなく、ぬいぐるみを主観にするのもまた異様だが、本人に怖がっている様子はない。クマの腕を握り、その指先で木の扉の横を示す。朔美はその周辺をじっと見つめる。赤く染まる頬を別として、顔全体がじんわりと薄い白色に変化する。それから静かに何度かうなずき、やさしく娘の頭と肩にゆっくり触れた。

(続く)

 

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早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。

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