【好評連載】「シェアハウスの幽霊」第18回 早川阿栗・作

新潟市中央区

 

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第18回

 

茂みから鳥の鳴き声が聞こえた気がした。十月の終わりの空は澄み渡り、やわらかい風は低く吹き抜ける。家に泊まったのはひさしぶりで、やすらぎ提を歩くのもなつかしかった。

金髪の女性が走り抜ける際、はつらつとした声で挨拶する。

「おはようございます」

離れつつある背中に向け、康太ははっきりとした口調で応えた。信濃川の流れと反対向きへ一定のテンポで進む。

ピンキーの死から一年近くが経とうとしていた。一周忌も二週間後に迫る。月日はあまりにも早く過ぎた。混乱や喪失感、そこに悲しみや怒りなどが混じり合った感情の塊は今でも康太の、そして朔美の心にも影を残す。

突発性の心不全だった。朔美がいよいよ管理人として古民家シェアハウスに移ろうとする、その直前にピンキーは倒れた。珍しいことだが、若い男性にも発症する可能性がある病だ。一時間以内で死に至るという症例が示す通り、ピンキーはあっという間に息を引き取った。

入居者との契約自体は委任していたため、「コミコミ」のオープンに決定的な影響はなかった。ピンキーが担当していた作業や書類上での運営業務は母親に任される。無理やり親戚にも助力を頼み込んだ。

当初の予定通り、朔美が建物自体の管理をすることになった。ひどくショックを受け、辞退も考えた。どのような気持ちで臨んでいいのかもわからない。それでもピンキーの両親、特に母親から強く引き留められた。縁あってのことだから、という言葉、それを伝える切実な表情に心打たれた。

そうした一連の流れを康太も共に見てきた。あるいは朔美から逐一報告された。

ときどき、たこ焼きパーティーの夜を思い出す。幽霊を見た、とひたきが言った帰り際の様子もはっきりとよみがえる。

予兆は微塵もなかった。康太には何も見えなかった。そもそもその場に本人がいて、文字通り生き生きとしていた。それでも、ひたきと彼女が抱えるくまのぬいぐるみが指さした、扉の横にいた幽霊はピンキーだったのではないか。そんなイメージが頭から離れなくなる。

葬儀にはたくさんの人が参列した。康太や朔美の同級生たちも顔を見せる。息子の孝直が気丈にも母親に寄り添う。ピンキーの両親、特に父親は大病を患う中、ますます力なく、失意に暮れていた。

悲しみに包まれながらも、あまりの突然のことに、皆、どこか現実離れした感覚だった。そのまま帰ることもできず、何人かで飲みに行った。康太はひさしぶりに吐くほど酔っぱらった。朔美は葬儀だけで帰ってしまった。

思い起こされた光景に、父の死のことも重ね合わせてしまう。年齢も死因も違うが、二人とも十一月のはじめに亡くなった。

父の一報を聞いたのは東京だった。慌てて新幹線で新潟へ戻る。死に目には会えなかった。父は重い間質性肺炎を患って、呼吸器をつけながらの生活を送っていた。だが、しばらく危機的な状態になっていない。それでも母からの電話がかかってきたとき、父が死んだのだとすぐにわかった。朝、自室のベッドに横たわったまま、ひっそり静かに息を引き取った。寝顔と同じ、と母が言った。

葬儀にはかつての同級生たちが集まった。仕事の関係者よりも多かった。いつ撮られたのか、遺影は康太には覚えのないものだった。満面の笑顔で垂れ下がった目じりに深いしわが刻まれていた。

父の死から思考は再び戻る。ピンキーも苦しまなければよかったのに、と考えずにいられない。最後にピンキーの頭に浮かんだのが家族の笑顔であることを願うばかりだった。

ピンキーの死から間もなく、康太は東京のアパートを引き払った。十二月には引っ越しの準備に取りかかった。新潟での日常はゆるやかに進んでいたものの、急にあわただしくなる。実家からも離れることに決めた。古町モールの北端、そこから通りを少し外れたアパートを借りる。

手続きや引っ越し作業を終えたあと、別れた妻に報告した。

「新潟は近くて、いよいよ遠いね」

仁美の声はくぐもっていて、どんな表情をしているのか、康太には想像もできなかった。

鳥が羽ばたき、ゆっくりと空高く舞い上がった。川の流れに沿うように海へ向かって飛んでいく。薄茶色の姿はどんどん小さくなり、やがて消えた。スマートフォンが震え、音を鳴らす。朔美からの着信だった。

(続く)

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早川阿栗(はやかわあぐり)
新潟県上越市出身、東京都内在住。第105回文學界新人賞島田雅彦奨励賞受賞「東京キノコ」。また、別の筆名で県内の各種文学賞を受賞。

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